大宝城
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大宝城(だいほうじょう)とは、茨城県下妻市大宝667にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
現在の大宝八幡宮の境内一帯に存在した城である。
鎌倉時代前期の貞永元年(1232年)、下野国の小山氏の一族である下妻長政が築城したとされ、それ以降は下妻氏の居城となった。4代目の下妻政泰は興国2年/暦応4年(1341年)に興良親王を奉じて春日顕国と共に籠城して室町幕府の高師冬の軍勢を迎え撃った。2年余りに及ぶ戦いの末、城は落ちて政泰は自害した。落城の際、北畠親房は脱出して吉野に引き揚げ、顕国は常陸国に留まり、興国5年/康永3年(1344年)に残党をかき集めて大宝城を攻めて奪い返して再挙を果たした。しかし、室町幕府の逆襲にあって顕国も最終的に殺害されている(関城・大宝城の戦い)。
現在は大手門跡や土塁、空堀の一部が残されており、国の史跡に指定されている。