大友義長
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大友 義長(おおとも よしなが、? - 永正15年(1518年))は、豊後の守護大名・戦国大名。大友家の第19代当主。大友宗麟の祖父に当たる。父は第18代当主の大友親治[1]。通称は五郎[1]。名は親匡・義親[1]。なお孫に大内家に養子入りして当主になった大内義長がいるため、混同に注意が必要である。
生涯[編集]
明応7年(1498年)に嫡子となり、第11代将軍・足利義澄に大友家世子として上申される[1]。文亀元年(1501年)に父から家督を譲られて当主となり、同年に義澄から豊後・豊前・筑後の守護に任命された[1]。永正5年(1508年)に周防の大内義興が上洛すると、義長は父と共に義興への接近を図り、上洛祝いを贈っている[1]。永正12年(1515年)に嫡子の義鑑に家督を譲るが、その3年後に父に先だって死去[1]。
『義長条々』という内政制度や政策展開の基準を定めた分国法を制定している[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『戦国人名事典コンパクト版』 阿部猛、西村圭子、新人物往来社、1990年9月 ISBN 4-404-01752-9