外山恒一
外山 恒一(とやま こういち、1970年7月 - )は、政治活動家、ストリートミュージシャン。「ファシスト党〈我々団〉」総統。
略歴[編集]
1970年7月、鹿児島県姶良郡隼人町に生まれる。1975年、福岡県大野城市に移住。1986年4月、私立中村学園三陽高校に入学。入学後1週間目にして厳しい生徒管理に単身抗議し、活動家人生を開始する。1986年9月鹿児島県立加治木高校、1987年9月福岡県立筑紫丘高校に転入学するも、政治活動を理由に無期停学処分を受け1988年4月に自主退学。 同年5月、「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」を結成。1989年1月、『ぼくの高校退学宣言』で単行本デビュー。この頃、現代書館の『フォー・ビギナーズ・シリーズ マルクス』一冊を読んでマルクス主義者となる。同年3月、各地の闘う高校生が結集する第1回全国高校生会議に参加し、主要活動家の1人となる。1990年7月、校門圧死事件が起きた兵庫県立神戸高塚高校に出向き、決起しない生徒を批判するが逆に追い返される。この頃からDPクラブの活動が先鋭化し、既成左翼や市民運動と対立していく。
1991年5月頃、笠井潔の『ユートピアの冒険』『テロルの現象学』を読んでマルクス主義を放棄。その後、”異端的極左活動家”として政治活動、文筆活動を展開する。1995年2月に東京で「だめ連」と出会い、1999年2月に「だめ連・福岡」を正式結成。同年3月、痴話喧嘩の末に交際相手の女性を殴り、鼓膜が破れる怪我を負わせる[1]。この事件を機に私的な恋愛問題に政治的に介入してきたとして、同志関係にあった矢部史郎・山の手緑コンビと敵対関係に転じる。2000年12月に傷害罪で起訴、2002年5月14日に傷害事件の民事訴訟の相手方弁護士の同僚を中傷したとして名誉毀損罪で逮捕され、2002年7月に傷害罪で懲役10ヵ月、2003年9月に名誉棄損罪で懲役8ヶ月の実刑判決が確定[1]。獄中で国家権力と左翼に対する憎悪を膨らませ、友人が差し入れたムッソリーニの伝記(藤沢道郎『ファシズムの誕生』)を読んだことが契機となり、ファシズムに転向(2003年5月)。2004年5月5日に福岡刑務所を満期出所してからは、獄中で構想したファシズム結社「我々団」の建設に取り組む。
2007年4月の東京都知事選挙に無所属で出馬。「今はただ、スクラップアンドスクラップ」「我々少数派にとって選挙ほど馬鹿馬鹿しいものはない」「もはや政府転覆しかない」などと呼びかけ、最後に中指を立てる過激な政見放送で注目を集め、Youtubeに動画が拡散された。15,059票を獲得、14人中8位で落選。2011年にオピニオン誌『デルクイ』を創刊。2014年に活動報告誌『人民の敵』を創刊。著書『青いムーブメント』(2008年)や『全共闘以後』(2018年)、活動報告誌『人民の敵』などで社会運動史の研究・記録にも精力的に取り組んでいる。
人物[編集]
「全共闘運動の唯一の後継者」を自負し、「本当に非転向の全共闘派」として絓秀実・笠井潔・千坂恭二・呉智英の4名を高く評価している[2]。
学歴[編集]
- 1983年3月 福岡県大野城市立大城小学校卒業
- 1986年3月 私立西南学院中学校(福岡)卒業
- 1986年4月 私立中村学園三陽高校(福岡)入学
- 1986年9月 鹿児島県立加治木高等学校転入学
- 1987年9月 福岡県立筑紫丘高等学校転入学
- 1988年4月 同校中退
- 1988年10月 大学入学資格検定合格[3]
- 1990年4月 福岡県久留米市立南筑高校入学
- 1991年4月 同校中退[1]
結成した政治組織[編集]
- 1987年10月 「ほんとの自民党」結成
- 1988年5月 「反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブ」結成
- 1990年1月 「反管理教育中高生グループ・DPクラブ」結成(1991年5月解散)
- 1993年10月 「反共左翼革命結社・日本破壊党」結成(1994年8月崩壊)
- 1995年3月 同党を「革命結社・ユルサン」に改称(まもなく自然消滅)
- 1998年4月 「自由民権運動・ラジカル九州」結成(1999年5月崩壊)
- 2004年 「九州ファシスト党〈我々団〉結成[1]
- 2019年1月 「九州ファシスト党〈我々団〉」を「ファシスト党〈我々団〉」に改称[4]
選挙歴[編集]
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著書[編集]
- 『ぼくの高校退学宣言――グッバイ・ハイスクール』 徳間書店、1989年1月
- 『ハイスクール「不良品」宣言――反管理教育中高生ネットワーク・DPクラブの顛末』 駒草出版、1990年6月
- 『校門を閉めたのは教師か――神戸高塚高校校門圧殺事件』 はやしたけし共著、駒草出版、1990年10月
- 『注目すべき人物――1970年生まれの「同世代」批判』 松田博美編、ジャパンマシニスト社、1992年11月
- 『さよなら、ブルーハーツ――パンク日記』 宝島社、1993年5月
- 『見えない銃――外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録』 出版研、1995年11月
- 『ヒット曲を聴いてみた――すると社会が見えてきた』 編、駒草出版、1998年4月
- 『最低ですかーっ!――まったく新しい政治犯外山恒一語録』 不知火書房、2004年12月
- 『青いムーブメント――まったく新しい80年代史』 彩流社、2008年5月
- 『ポスト学生運動史――法大黒ヘル編 1985-1994』 中川文人著、外山恒一聞き手、彩流社、2010年2月
- 『良いテロリストのための教科書』 青林堂、2017年9月
- 『全共闘以後』 イースト・プレス、2018年9月、改訂版2018年12月
- 『政治活動入門』 百万年書房、2021年3月
- 『対論 1968』 笠井潔、絓秀実著、外山恒一聞き手、集英社(集英社新書)、2022年12月
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 外山恒一と我々団(公式サイト)
- 外山恒一のWEB版人民の敵
- 我々少数派(公式ブログ)
- 我々団(九州ファシスト党) 告知用ブログ(2009年に更新停止)
- 外山恒一 (@toyamakoichi) - Twitter
- 我々団 (@warewaredan) - Twitter
- Wikipedia「外山恒一」(2009年10月6日 (火) 04:42)