孫 憲(そん けん、? - 256年)は、中国の三国時代の呉の皇族。従兄弟に孫綝。孫 慮(そん りょ)とも言う[1]。
253年に孫峻が諸葛恪を誅殺する際に協力して右将軍・無難督に昇進した[1]。256年に孫峻が死去し、その跡を孫綝が継いで中央の9つの役所を統括して実権を掌握すると、それに不満を抱いた呂拠が反乱を起こし、孫憲は呂拠を迎え撃った[1]。しかし孫綝は孫峻のように孫憲を厚遇しなかったので孫憲は激怒して王惇と共に孫綝を誅殺しようと計画するが、事前に計画が発覚して失敗し自殺した[1]。
- ↑ a b c d 中国の思想刊行委員会『三国志全人名事典』徳間書店、1994年、239頁
参考文献[編集]