唐咨
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唐 咨(とう し、生没年不詳)は、中国の三国時代の呉・魏の武将。
生涯[編集]
徐州利城郡の出身[1]。最初は魏の220年から226年にかけての文帝の時代に利城郡で反乱を起こして鎮圧され、呉へ亡命した[1]。呉では数々の戦功を挙げて左将軍に昇進する[1]。256年に呂拠が孫綝に対して反乱を起こすと文欽や劉簒と共に呂拠捕縛を担当した[2]。257年に魏で諸葛誕の乱が起こると文欽と共に寿春を支援するが、司馬昭の鎮圧により捕縛されて捕虜となり、安遠将軍に任命される[1]。この際に唐咨ら降伏した呉の武将らは魏から厚遇されたため、呉も彼らの家族を処刑しなかった[1]。263年の魏の蜀征伐にも従軍した[1]。
『三国志演義』では降伏した際に家族を孫綝に皆殺しにされている。