向笠城

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向笠城(むかさじょう)とは、現在の静岡県磐田市向笠竹之内74にかつて存在した日本である。別名を六笠城(ろくかさじょう)といわれる[1]

概要[編集]

築城年代は不明だが、当地の豪族である向笠氏が築いたといわれている[1]戦国時代、向笠氏は駿河国今川氏に仕えたが、今川氏が武田信玄駿河侵攻で没落すると甲斐武田氏に仕えた[1]

元亀4年(1573年3月、武田信玄は西上作戦の途上で重病に倒れ、三河国北部で養生して武田軍は動けなくなっていた。この隙を突いて徳川家康石川家成久野宗能に攻撃させて向笠城を陥落させた。この勢いで六笠城遠州一宮城なども連鎖的に落ち、さらに数個の砦も落ちたという(『武徳編年集成』)。以後の記録は無く、廃城になったものと思われる。

以後、向笠氏は徳川四天王のひとりである井伊直政に仕えたという[1]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. a b c d 『日本城郭大系9 静岡・愛知・岐阜』 新人物往来社 1979年6月。190頁。

参考文献[編集]