吉田物語
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概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者は毛利氏の家臣・杉岡就房。元禄15年(1702年)に成立した作品。就房は宝永3年(1706年)に83歳で死去したので、そのわずか4年前に成立した作品である。
別称は『吉田記』(よしだき)。著書の名称は恐らく戦国時代の毛利氏の居城である吉田郡山城から取られたものと思われる。
内容[編集]
毛利元就の1代記である。元就が立身するきっかけとなった武田元繁との有田中井手の戦いから書かれている。全11巻と見られるが、12巻とする説もある。
- 巻1 - 元繁との戦いから鏡山城の戦い、大内義興が死去して義隆が家督を継承するまで。
- 巻2 - 元就が大内氏に帰参、尼子晴久による吉田郡山城攻め、元就が嫡子・隆元を連れて山口に下向まで。
- 巻3 - 大内義隆の月山富田城攻め、元就が3男・隆景を小早川氏に、次男・元春を吉川氏に養子入りさせ、大寧寺の変で義隆が自害するまで。
- 巻4 - 毛利元就と陶晴賢との戦いである緒戦となる折敷畑の戦いまで。
- 巻5 - 厳島の戦いまで。
- 巻6 - 元就の防長経略から石見国進出まで。
- 巻7 - 尼子晴久の反撃、大友義鎮との戦いまで。
- 巻8 - 尼子氏との戦い、長男・隆元の死去まで。
- 巻9 - 月山富田城の兵糧攻め、尼子義久の降伏。伊予国や九州での戦いまで。
- 巻10 - 尼子勝久を擁した山中鹿之助による尼子再興軍の侵攻、大内輝弘の挙兵により、元就は九州から撤退まで。
- 巻11 - 毛利輝元の尼子攻め、元就の死去まで。元就の死に関しての遺言、逸話、芸道など様々なことを載せているほか、毛利両川の協力について強調している。
元就を主人公としていることから、元就にバイアスを当てているのは当然である。著者の杉岡は旧記、覚書、感状を参考にして編集したとわざわざ書いており、そうすることで後代史料でありながら信頼性を強調しようとしている。元就の軍略や知略、策略を多く記録している。元就については「律儀第一」「常には物静にして、いそがはしき気色少しも見えざる人」と賞賛している。
ただ、元就は大内義興の存命中に尼子氏から大内氏に鞍替えしているはずだが、この著では義興没後に義隆が継いでから6年後に鞍替えしたことになっている。また、隆元の死は「頓死」としている。