合気道

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合気道 (あいきどう)とは、合気柔術を元に組織された日本武道である。とはいえ「日本固有」というわけではなく、サンボ八卦掌などは合気道とは近縁である。

概要[編集]

そもそもは「倭寇」に対抗するために生まれた「太宗長拳」が日本に逆輸入されて生まれた「竹内流柔術」に由来する。いわゆる中国拳法における型は「太宗長拳」に由来するものが多く、太極拳の型を覚えておけば割合に他の拳法の型も頭に入りやすい。
に始まり、礼に終わる、申し合わせによる形稽古が中心である。残心が重視される。技には相撲に似たものがある。
ただし、「打ち蹴り七分に投げ三分」とも言われ、「武術」としてはけっこう兇悪である。
開祖は武田惣角を師とした植芝盛平であり、弟子としては実子の植芝吉祥丸鹽田剛三(「バキ」の澁川剛毅のモデル)がいる。

沿革[編集]

会津松平家御留技である合気柔術を極めた武田惣角に師事した植芝盛平によって形作られた。
植芝盛平の実子である植芝吉祥丸 氏は優男でサラリーマン経験もあるため腰が低く、一見して「にやけた腰の低い人」に見えたという。吉祥丸先生のお弟子さんに、吉祥丸先生は路上で出くわして喧嘩を売ろうとした弟子が道場で再会してテンパンにやられたという弟子もいる。「アルジェリアで三人同時に襲いかかられて全部片づけた」とう話もある。
次男である植芝守央 氏が後継者として知られている。「障害者合気道」の段・級位認定制度を新たに創設する等(現在は制度停止中)、合気道の理念を世界に広げる活動をしている。

所属[編集]

柔道剣道と異なり、中学校高等学校部活動として採用するところは少ない。また体育科目としてはほぼ採用されていない。ただし大学の部活動では採用しているところがある。かつては大日本帝国陸軍陸軍中野学校剣道とともに教科として採用された。これは一撃必殺であることが求められたためである。

応用[編集]

肘締め・小手返し・文手持ち(あやてもち)三か条など、太極拳とも共通する実用的な技があるが、膝を使った崩し技はあまり教えられないため、「関節技が多い」と誤解されがちである。太極拳と同じく目つぶしや金的蹴りなどもじつは結構あり、わりと相手にしたくないというか、仲良くしておきたい相手ではある。
他にも天地投げ・四方投げなどいろいろあるが、「投げられるほうが受身を取れるかどうかが心配」という話もあって、めったに使われない。小手返しなんかは、「痛くもないのに天地がひっくり返っている」とかいった事象が起きる。
たしか養神館の道場が水道橋にあって、駅員が真鍮製の手摺を見て「あぁ、そういう季節だったな」と思うという話があった。SP が養神館で研修を受けると、帰り道には半分足腰が立たなくなって手摺に頼るからだという。

逸話[編集]

たしかエドワード・ケネディが来日した折に、養神館を訪問したという。
そのときに SP の一人が、「面白いショーを観せてもらった」と軽口を吐いたのに気づいた鹽田剛三が見とがめて、「ちょっと相手してもらおうか」と声をかけた。
「距離を取ったら相手にならないだろう」と思ったらしく、左ジャブで片付くと思ったのだろう。ただ、人間は退がるより前に出るほうが速いので、合気道は前に出るのである。近距離のロングフックならともかくも、リーチぎりぎりのジャブなどは合気道ではものともしないので、左掌のパーリングで払うついでに左膝を崩して右手を絡めて二ヶ条で「ピンで留めた蜘蛛のように」畳に這わされたそうである。ケネディに「いやぁ、朝飯を食ってなかったもんですから」と言い訳をしたが、ケネディの自伝には「彼は『朝食を取っていたら勝てた』とは言わなかった」とある。三ヶ条を喰らって道場引き回しの刑に遭ったり、四ヶ条を喰らって悲鳴を上げたりしなかっただけマシなんじゃないだろうか。

関連項目[編集]