内田祥哉
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内田 祥哉(うちだ よしちか、大正14年(1925年)5月2日 - 令和3年(2021年)5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。
経歴[編集]
東京府生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の次男。兄は敗戦後まもなく夭逝した建築家の内田祥文。既婚者。
建築構法計画学を確立し、超高層ビルから木造、プレハブまで戦後の建築業界に大きな影響を与えた人物で知られる。工学院大学特任教授、日本建築学会会長などを歴任した。
令和3年(2021年)5月3日午後1時27分、老衰のため、東京都内の病院で死去。96歳没。遺族は香典や供花は固辞した。
主な著書[編集]
- 『プレファブ』、講談社、1968
- 『建築生産のオープンシステム』、彰国社、1977
- 『建築の生産とシステム』、住まいの図書館出版局、1993
- 『現代建築の造られ方』、市ヶ谷出版社、2002
- 『建築構法・第5版』、市ヶ谷出版社、2007
- 『日本の伝統建築の構法 柔軟性と寿命』、市ケ谷出版社、2009
- 『建築家の多様 内田祥哉研究とデザインと 建築家会館の本』、建築ジャーナル、2014
- 『内田祥哉 窓と建築ゼミナール』、門脇耕三・藤原徹平・戸田穣ほか編、鹿島出版会、2017
主な作品[編集]
名称 | 年 | 所在地 | 状態 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(NTT西日本笹島ビル) |
名古屋第二西電話局1955年(昭和30年) | テンプレート:愛知県名古屋市西区 | ||
(NTT霞ヶ関ビル) |
霞ヶ関電話局1956年(昭和31年) | テンプレート:東京都千代田区 | ||
(NTT中央研修センタ講堂) |
中央通信学園講堂1958年(昭和33年) | テンプレート:東京都調布市 | ||
内田祥哉邸 (自邸) | 1961年(昭和36年) | テンプレート:東京都杉並区 | ||
目黒区立第一中学校 | 1962年(昭和37年) | テンプレート:東京都目黒区 | 共同設計:原広司 | |
佐賀県立図書館 | 1963年(昭和38年) | テンプレート:佐賀県佐賀市 | 共同設計:高橋靗一 | |
(ユースピアさが) |
佐賀県立青年の家1968年(昭和43年) | テンプレート:佐賀県佐賀市 | 共同設計:高橋靗一 | |
佐賀県立博物館 | 1970年(昭和45年) | テンプレート:佐賀県佐賀市 | 共同設計:高橋靗一 | |
有田町歴史民俗資料館 | 1978年(昭和53年) | テンプレート:佐賀県有田町 | ||
佐賀県立九州陶磁文化館 | 1980年(昭和55年) | テンプレート:佐賀県有田町 | ||
武蔵大学中講堂 | 1980年(昭和55年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
武蔵大学図書館 | 1981年(昭和56年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
先人陶工之碑 | 1982年(昭和57年) | テンプレート:佐賀県有田町 | ||
有田焼参考館 | 1983年(昭和58年) | テンプレート:佐賀県有田町 | ||
武蔵大学科学情報センター | 1988年(昭和63年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
ふるさとの館 | 1990年(平成2年) | テンプレート:千葉市花見川区 | ||
大阪ガス実験集合住宅NEXT21 | 1993年(平成5年) | テンプレート:大阪市天王寺区 | ||
明治神宮神楽殿 | 1993年(平成5年) | テンプレート:東京都渋谷区 | ||
武蔵大学守衛室 | 1995年(平成7年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
武蔵大学6・7号館 | 1997年(平成9年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
武蔵大学8号館 | 2002年(平成14年) | テンプレート:東京都練馬区 | ||
顕本寺本堂 | 2003年(平成15年) | テンプレート:大阪府堺市 | ||
妙壽寺第二庫裡 | 2006年(平成21年) | テンプレート:東京都世田谷区 |