元親記
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元親記(もとちかき)とは、長宗我部元親の1代記(軍記物)である。
概要[編集]
著者・成立年代[編集]
著者はかつて長宗我部元親の家臣だった高島正重。成立は寛永8年(1631年)5月19日で、正重がかつての主君の33回忌を記念し、その菩提を弔うために著したものであるという。正重は長宗我部氏改易後は土佐藩主となった山内一豊・山内忠義らに仕えていたので、忠義時代に完成させた作品ということになる。
内容[編集]
上中下の3巻。長宗我部元親の1代記で、年代を追う形になっている。
- 上巻 - 長宗我部家の系図と由来について簡単に記されている。元親を支えた家老や重臣について、元親の土佐国平定の過程、長宗我部家の家督相続、一条兼定との戦いと土佐国統一、その後の阿波国や伊予国侵攻開始まで。
- 中巻 - 天正6年(1578年)の讃岐国侵攻から四国全土の制圧を目指しての侵攻について。織田信長との対立と信長の横死による十河存保との中富川の戦い、信長の後継者としての地位を確立した羽柴秀吉の四国征伐とその征伐軍に敗れて元親が降伏するまで。
- 下巻 - 降伏後、上洛して秀吉と会見して豊臣政権下の大名となる。その後の九州征伐における戸次川の戦い、小田原征伐、朝鮮出兵、そして慶長4年(1599年)5月に元親が61歳で死去したところで終了している。
高島がかつて元親に仕えた家臣であったため、元親の前半生はともかく、後半生に関しての記述はかなり信頼性が高いと思われる。中巻の「藤目の城を取り返したる事」ではその戦いぶりを生き生きと描いているところが評価されている。また、戦国大名の1代記なので元親を賞賛したり、合戦に関する記述が多いのは確かだが、元親の趣味が相撲や連歌で自ら興行を開催したりすることもあったこと、自分の子供や家臣の子弟らに文学や芸能を奨励していたなど、元親が文化人だったことが描かれている。高島の生没年は不詳だが、元親の近習だったとあるため、恐らく元親が死去した時点で20歳前後だった可能性がある。また、著者の記憶違いかと思われるが、年代の誤りも見られる。