伊藤 重久(いとう しげひさ、天文12年(1543年) - 天正3年5月21日(1575年6月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。
通称は勘丞(かんのじょう)。祖父は近江国の浅井氏に仕え、武田信虎に召し出されて武田家に仕えるようになったといわれる。
天正3年(1575年)5月21日、長篠の戦いで戦死した。法名は宗英。家督は弟の重次が継承した。