伊良部秀輝

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Baseball Pitcher.jpg 伊良部 秀輝 Baseball Batter.jpg
基本情報
国籍日本国旗.png日本
出身地兵庫県尼崎市沖縄県コザ市生まれ)
生年月日1969年5月5日(55歳)
没年月日2011年7月24日から27日の間 (満42歳没) ※詳細は「死去」の節を参照。
身長
体重
193 cm
108 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1987年 ドラフト1位
初出場NPB / 1988年5月7日
MLB / 1997年7月10日
最終出場MLB / 2002年7月12日
NPB / 2004年6月11日
Wikipedia-logo.png伊良部秀輝
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

伊良部 秀輝(いらぶ ひでき、1969年5月5日 - 2011年7月24日から27日の間)は、日本出身の元プロ野球選手(投手)。沖縄県コザ市生まれ、兵庫県尼崎市育ち。父はアメリカ人、母は日本人のハーフ。妻は朝鮮籍[1]在日コリアン金光京淑(かねみつキョンス)。右投げ右打ち。かつて日本最速158km/hの急速を叩き出した豪腕の投手だった。

概要[編集]

プロ入りから1度目の引退まで[編集]

昭和62(1987)年、ロッテオリオンズからドラフトで1位指名されプロ入り。1年目から1軍で登板した。平成8(1996)年の退団までに、最多勝利1回(1994)、最多奪三振2回(1994、1995)、最優秀防御率2回 (1995、1996)、オールスターゲーム選出3回(1994、1995、1996)と活躍した。

しかし、のちに球団GM広岡達朗と対立してメジャーリーグ移籍を決心。1996年オフにメジャーリーグへの移籍希望を表明しニューヨーク・ヤンキースへの入団を希望した。しかし、ロッテ球団は提携球団のサンディエゴ・パドレスに伊良部の保有権を永久的に譲渡する契約を交わした。それに対し伊良部は「ピンストライプのユニフォームの重さというのは野球を経験した者にしか分からない」と主張しあくまでヤンキースへの入団に拘り、エージェント団野村と契約し対応。大型トレードを仕掛け、最終的に三角トレードという形でヤンキース入団を果たし、4年1280万ドルで契約(日本人初ヤンキース・メジャー契約選手)した。この時、取材陣に対し伊良部は「アンタら凡人にミケランジェロの気持ちが解るか?オレはミケランジェロなんだよ」という言葉を発し、一部から顰蹙を買う(伊良部メジャーリーグ移籍騒動)。

実際には生き別れとなった実父を見つけるには、MLB屈指の名門チームであるヤンキースでプレーするのが最善と考えていたためだが、伊良部本人はこのことを最後までかたくなに否定し続け、また、自身の実父がアメリカ人であることは知らなかったと虚偽の発言までしていた[2][3][4]

ヤンキースでは故障を乗り越え月間MVPを2度受賞したが、平成11(1999)年には打ち込まれた。

同年にモントリオール・エクスポズにトレードで放出された。開幕から不調が続き故障。平成13(2001)年8月26日、故障中に急性アルコール中毒で意識不明で緊急搬送され一週間の謹慎処分。同年の9月6日に解雇された。

平成14(2002)年、テキサス・レンジャーズにクローザーとして起用される。6月までは1勝10セーブの好成績だったが、その後は成績を落とし解雇された。同年に阪神タイガースと1年2億円で合意。月間MVP1回、オールスターゲーム選出1回と活躍したが次第に失速。平成16(2004)年に解雇され引退した。

実業家に転身[編集]

平成17(2005)年、渡米してグリーンカードを取得。うどん店SUPER UDONを開業するも後に閉店した。妻の金光京淑(かねみつキョンス)は「資金繰りが困難になったから」と語っているが、店は繁盛していたという。真偽は不明だが、SUPER UDONのフランチャイズになった韓国人が、うどんに関係ない韓国料理を提供し始め、事業が乗っ取られたことに腹を立てたからとも言われる[5]

平成20(2008)年には大阪市北区のバーで傷害事件を起こし現行犯逮捕された(不起訴処分)。支払い時に店長がクレジットカードを返さないことに腹を立て、犯行に至ったという。この時、店長がスキミングをしていたことが明らかになっている。

現役復帰から2度目の引退まで[編集]

平成21(2009)年にはゴールデンベースボールリーグ(現ノース・アメリカン・リーグ)のロングビーチ・アーマダと、四国アイランドリーグ高知ファイティングドッグスでプレイした。同年に引退を発表。

自殺[編集]

平成23(2011)年7月27日、カリフォルニア州ランチョ・パロス・ベルデスの自宅にて縊死しているのが発見された。自殺と言われるが、詳しい動機は不明である。うどん店を廃業したからだとも、妻との不仲(当時は別居状態)が原因だとも言われる。

死の直後、ファンや関係者によって自宅に献花やお悔やみの手紙が贈られた。しかし、それらは妻の金光京淑(かねみつキョンス)の指示でゴミ箱に破棄されていた[6]。関係者が理由を聞いたところ、妻は「自殺した家を知らせるようなもので迷惑だ」と答えたという[6]

遺体は荼毘に付された。葬儀は近親者のみで8月3日に執り行われたが、日本から駆けつけた伊良部の実姉と実妹は参列を拒否された[7]。伊良部は自身の遺骨をロサンゼルス東本願寺別院に納骨するよう遺言していた。しかし、四十九日も経ないうちに千葉県千葉市内の寺に無縁仏として納骨された。これは、妻の金光京淑とその母(伊良部の義母)の意向によるものという[7]

所属チーム経歴[編集]

リンク[編集]