今川義元の墓
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今川義元の墓(いまがわよしもとのはか)とは、駿河国の戦国大名・今川義元の墓である。愛知県豊川市牛久保町岸組66の大聖寺に墓所が存在する。
概要[編集]
駿河の戦国大名・今川義元は尾張国の織田信長を倒すため、永禄3年(1560年)5月に尾張に侵攻する。しかし同年5月19日(6月12日)に行なわれた桶狭間の戦いで信長の前に敗死を遂げた。その遺体は信長側に接収されていたが、義元の家臣・岡部元信が奮戦して取り戻し、当初は駿河まで遺体を戻す予定だった。しかし義元の遺体は予想以上に早く腐敗が進んだこともあり、義元の遺体は家臣らが現在の墓がある寺院まで運ぶと、ここに葬り、その上に目印となる石の手水鉢を置いたという。
現在の墓は横倒しにした午水鉢を台石にした宝塔であり、今川義元の胴塚と言われている。永禄6年(1563年)11月28日、義元の跡を継いでいた嫡子の今川氏真は義元の菩提所として正式に認可し、証文を与えて寺領を安堵した。