今井宗久

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今井宗久(いまい そうきゅう、1520年8月5日-1593年8月31日)は、室町時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人である。千宗易津田宗及と並んで天下三宗匠と数えられる。後にわび茶を確立させた者の1人である武野紹鴎の娘婿。

概要[編集]

1520年8月5日近江国(大和国だとする説もある)にて出生。幼少期の名は彦右衛門兼員(ひこえもんかねかず)。1540年代に石山本願寺の門徒となるために入る。納屋宗次の家に宿泊し、1554年から武野紹鴎を師匠として茶道を始める。

さらに織田信長などへ火縄銃を売ったりしてかなり儲かり、名を納屋宗久に改めた。この商売業を納屋業という。1555年に紹鴎が死去すると宗久は紹鴎の後継者となる。

1560年代中盤頃、宗久は信長に仕え始めた。同じ様な人物に千利休や津田宗及がいる。さらに茶道習い始めてほんの10年なのに足利義昭にまでも茶を指導する程になった。

1582年本能寺の変で信長が自害すると、豊臣秀吉に仕え始めた。利休や宗及以外にも狩野永徳が似た様な人物。1587年北野天満宮で開催された北野大茶会に参加した。

1593年8月31日に死去。享年73。尚、死因は不明。

参考文献[編集]

  1. 今井宗久茶湯書抜

関連項目[編集]