人民新聞

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
人民新聞社から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動

人民新聞(じんみんしんぶん、英語:People's News)は、大阪人民新聞社が発行している旬刊の政治新聞。旧紙名は『新左翼』、旧社名は新左翼社。人民新聞社の商号は株式会社人民新聞[1]

概要[編集]

1968年8月5日に『新左翼』として創刊された左翼新聞。1976年4月5日号から『人民新聞』に改題した。前身は日本共産党の分派で親中系の「日本共産党(解放戦線)」の機関紙『平和と独立』だが、『人民新聞』は特定の団体や組織の機関紙ではない[2]。自身を「大衆政治新聞」と称しており[3]、原発問題、在日米軍基地問題、パレスチナ問題、労働問題、ひきこもりなど国内外の政治問題や社会問題、社会運動を中心に取り上げている。

  • タブロイド版6ページ、中質紙使用
  • 毎月3回(5・15・25日)発行
  • 1968年12月12日第三種郵便物認可
  • 1部150円 / 購読料・月額500円(送料込み)
  • 発行所:人民新聞社(大阪府茨木市竹橋町2-2王子ビル205)

沿革[編集]

親中系の「日本共産党解放戦線」に所属していた人々が、学生運動の高揚や編集に協力していた中国共産党系の新聞『中国新報』では制約があることが契機となり[4]、1968年8月5日に新左翼の情報紙として『新左翼』を創刊した[3]大阪天六天神橋筋六丁目)に置かれた事務所には、後によど号ハイジャック事件実行犯の一人となる吉田金太郎が制服・制帽姿で手伝いに来ていたという[4]

1972年5月に日本赤軍がリッダ闘争(テルアビブ空港乱射事件)を起こした際、国内の新左翼党派が冷たい態度を取ることに反発して連帯の意思を表明する社説を掲載した。その後、日本赤軍から新聞社に声明などが送られてくるようになり[4]、たびたびそれらを掲載して注目を集めた[5][2]。また1970年の全都労働組合活動家会議(労活)、1974年の日本労働党[5]、1978年の日本労働党が中心となった「左翼連合」の結成など、新左翼勢力の結集に尽力した[6]

連合赤軍事件・あさま山荘事件を経て新左翼運動が退潮していったことが契機となり[4]、さらに広範な闘争と結びつく政治新聞を目指して1976年4月5日号から『人民新聞』に改題した[† 1]。最盛時の発行部数は約8000部、1985年時点の発行部数は推定約6000部と言われる[2]。2002年10月に編集部体制を刷新[3]、2017年に本社を大阪市港区港晴から茨木市竹橋町に移転した[1]

2017年11月21日、別人が使う口座を自分名義で開設しキャッシュカードを騙し取ったとして、社長が詐欺容疑で兵庫県警に逮捕された。県警は口座がレバノンに亡命している日本赤軍メンバーの岡本公三の支援に使われていたと見て捜査している[8][9][10][11]。人民新聞やレイバーネット日本などは、不当逮捕や家宅捜査は言論弾圧だとして抗議している[12]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 『戦後革命運動事典』では1974年に改題した。元編集長渡辺雄三の著者プロフィールによれば、人民新聞社は1968年から74年まで新左翼社と名乗っていた[7]。田代『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』では1976年に紙名・社名を変更した。

出典[編集]

  1. a b 株式会社人民新聞の情報 国税庁法人番号公表サイト
  2. a b c 田代則春『日本共産党の変遷と過激派集団の理論と実践』立花書房、1985年、250-251頁
  3. a b c 人民新聞について 人民新聞社
  4. a b c d [コラム] 渡辺雄三自伝第15回 人民新聞社
  5. a b 板橋真澄「人民新聞」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、138頁
  6. 板橋真澄「日本労働党」戦後革命運動事典編集委員会編『戦後革命運動事典』新泉社、1985年、224頁
  7. ブラックホール社会へ 版元ドットコム
  8. レバノンの日本赤軍支援か 口座不正開設容疑で左翼紙社長を逮捕 兵庫県警 産経WEST(2017年11月21日)
  9. 詐欺容疑 日本赤軍を支援? 口座を開設 60歳男逮捕 毎日新聞(2017年11月21日)
  10. 在レバノン日本赤軍を支援か 銀行口座不正開設で男逮捕 神戸新聞NEXT(2017年11月21日)
  11. 詐欺の疑いで逮捕の男、口座は日本赤軍支援に利用か 日刊スポーツ(2017年11月21日)
  12. 安倍政権が言論弾圧を本格化/「人民新聞社」の編集長が逮捕・家宅捜索 レイバーネット日本(2017年11月24日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]