九十九髪茄子

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九十九髪茄子(つくもかみなす)は数奇な運命をたどった漢作[注 1]の茶入。大名物[注 2]唐物[注 3]である。付藻茄子とも呼ばれる[1]富士茄子松本茄子とともに天下三茄子として賞された茶入である。

概要[編集]

九十九髪茄子は茄子の形をしていることから茄子茶入のカテゴリーに分類される。茶入のカテゴリーは産地別に国焼き(いわゆる国産)と唐物があり、形状別に肩衝[注 4]・茄子[注 5]・大海[注 6]がある。

元々はこの茶入は「つくもがみ」と呼ばれていた。漢字では「九十九髪」もしくは「付喪神」があてられていた。 「九十九髪」をあてた場合は『伊勢物語』の一節「百年に一年足らぬつくもがみ我を恋ふらし面影に見ゆ」が転じて老女の白髪を意味する。 「付喪神」をあてた場合は古い器に霊が宿った妖怪[注 7]を意味する[2]を意味する。

「九十九髪」をあてた場合は完全な形を意味する百に対して石間[注 8]が玉に瑕で「百」至らぬ「九十九」という解釈が成立する[2]。品質第一主義にもかかわらず、完璧で無い事を珍重するという如何にも日本人らしいネーミングである。また、「付喪神」の場合は「二つある石間が両目のようであったから」[2]という如何にも宮崎駿ワールド的に解釈されて名付けられた。いずれにしても日本的なネーミングである。また、付物・作物の字をあてることもある[1]

この茶入れを珠光が九十九で購入したことを結びつけて命名されたという説がある[3]。しかし、九十九貫で購入したことを結びつけての部分は作り話に過ぎないとも言われている[4]。実際、日本人の好むプライスタグは¥4,980、¥2,980であり決して¥4,990、¥2,990では無い。また、¥4,980、¥2,980のプライスタグに敢えて赤字で斜線を入れ、横に「応価格相談」と書かれることも多い。そのような日本人の資質から考察すると九十九貫での購入は間違いと考えるのが妥当である。

伝来[編集]

勘合貿易により中国からの輸入品の取扱に絶対的権限を持っていたゆえ、当初は足利義満が所有していた。義満は内野の戦いにも携えていったと伝えられている[4]。その後、代々足利家が所有していたが足利義政により山名是豊に与えられた[1]。義満の好みと義政の好みが真逆であることは金閣寺銀閣寺を比較すれば一目瞭然で、義政は九十九髪茄子に価値を感じなかったのであろう。 その後伊佐宋雲の手に渡り朝倉宗滴(朝倉教景)が五百貫で購入したとされている[4]。後に宗滴から京小袖屋に質入れされ越前小袖屋にわたり、その後、京袋屋に渡った[1][4]とあるが、詳細な経緯は良く分からない。1558年に松永久秀が一千貫にて入手するとある[3][5]。その後、1568年、足利義昭を奉じて上洛した織田信長への降伏のしるしとして、九十九髪茄子に吉光の太刀を添えて献上した[5]

織田信長は無類の茶道具フェチと言われているが、単なるフェチでは無い。日本国内の領土に限りがある以上、家臣への褒美が枯渇するのは目に見えており、また、領土=米もしくは石高で価値が決まる事を勘案すると、米本位制の通貨制度では自然に影響されるとともに領土の枯渇によりデフレが避けられないことを既に見抜いていた。このため、希少価値の高く流通量を人為的にコントロール出来る(供給量が増えれば破壊し、供給量が減れば増産することが可能)茶道具を領土の代替として用いることで金融政策を行おうとしたと考えられる。マネタリズムの起源とも言える。(日本の歴史学と経済学との学際問題が絡んでおり真面目にこんな事を考える学者はいるはずも無い。)

織田信長没後、本能寺の焼け跡から拾い出された九十九髪茄子は豊臣秀吉に献上された[6]。しかし、派手好みの秀吉は焼けて釉薬の輝きが失われた九十九髪茄子を好むわけも無く、あまり戦国時代有名な武将でも無かった有馬則頼に与えた。有馬則頼の没後、九十九髪茄子は大坂城に返却される。しかし、1615年大坂城落城の際に再度罹災し粉々に壊れてしまう[6]

徳川家康の命令で藤重藤元藤重藤厳[7]父子が大坂城焼け跡から探し出し、破片をで継ぎ合わせて修復を行った[8]。家康は修復の出来映えの褒美として九十九髪茄子を藤元が拝領する[1]。この行為は豊臣家を陥れ、織田家の正統後継者であることを世に流布させるための家康の政治活動であり、家康も九十九髪茄子自体にはあまり興味が無かった事を示している。以後、藤重家に伝来したが、1876年(明治9年)に岩崎弥之助に譲られた[1][9]

現状[編集]

現在は静嘉堂文庫美術館に保管展示されている[9]。静嘉堂文庫美術館は常設展示の美術館では無く企画展示会の時のみ開館される美術館である。このため、この記事を読んで見学する場合はホームページを見て開館しているかどうかを確認する必要がある。また、静嘉堂文庫美術館では収蔵品の有料[注 9]画像データ貸出サービスを2013年(平成25年)10月1日より開始しており、九十九髪茄子および九十九髪茄子X線写真についても貸出サービスを受けることが出来る[10]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 唐物茶入れのうち製作年代が宋・元代と古く作品的にも優れているもの
  2. 茶道具の世界で名物中の名物をさす専門用語
  3. 中世から近世にかけて尊ばれた舶来品(made in Chaina)の別称
  4. 入れ物の上の部分が張り出している形状
  5. 植物のナスに似た形状でなで肩のもの
  6. 茄子や肩衝と比べると横に平べったい物
  7. 『まっくろくろすけ』同様に子供には見えて大人には見えない生き物
  8. 部分的に釉薬がかからず、土の部分が見えたようになっている部分を指す。
  9. 大三菱財閥にしてはけちくさい話である。

出典[編集]

  1. a b c d e f 井口 2010, p. 791.
  2. a b c 矢野 2008, p. 98.
  3. a b 有馬 2005, p. 423.
  4. a b c d 矢野 2008, p. 99.
  5. a b 桑田 2013, p. 38.
  6. a b 矢野 2008, p. 102.
  7. 矢野 2008, p. 102 7行目.
  8. 矢野 2008, p. 103.
  9. a b 大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子”. 静嘉堂文庫美術館. 2017年6月2日確認。
  10. 写真・画像の利用について”. 静嘉堂文庫美術館. 2017年6月2日確認。

参考文献[編集]

  • 有馬頼底(監修)稲畑汀子(監修)筒井紘一(監修) 『茶の湯の銘 大百科』 株式会社淡交社、2005年7月10日、1st。ISBN 4-473-03212-4
  • 井口海仙(監修)末宗廣(監修)永島福太郎(監修) 『新版茶道大辞典』1巻、株式会社淡交社、2010年2月15日、1st。ISBN 978-4-473-03603-2
  • 桑田忠親 『戦国武将と茶の湯』 小和田哲男(監修)、宮帯出版社、2013年7月7日、1st。ISBN 978-4-86366-807-2
  • 矢野環 『伝承がわかる、歴史が見える 名物茶入れの物語』 株式会社淡交社、2008年12月16日、1st。ISBN 978-4-473-03540-0

外部リンク[編集]