静嘉堂文庫美術館
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静嘉堂文庫美術館(せいかどうぶんこびじゅつかん)は、東京都世田谷区岡本にある美術館。岩﨑彌之助が創始し、岩﨑小彌太が後を継いで設立した。東洋古美術品を収集・展示する。国宝7点、重要文化財84点、約20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500点の東洋古美術品を所蔵する。
概要[編集]
東洋の文化財が散逸することを心配した岩﨑彌之助が1887年(明治20年)頃から本格的に収集開始し、岩崎小彌太がこれを拡充した。岩﨑彌之助は絵画、彫刻、書跡、漆芸、茶道具、刀剣と幅広く集めたが、岩崎小彌太は中国陶磁を系統的に集めていた。1924年(大正13年)に小彌太は父の17回忌に当たり、ジョサイア・コンドル設計の納骨堂の側に文庫を建て図書を収蔵した。1940年(昭和15年)、財団法人静嘉堂を設立した。美術品は、1945年(昭和20年)、岩崎小彌太逝去の後、国宝・重要文化財を中心とする名品が岩崎孝子夫人より財団に寄贈された。
開館30周年を迎える 2022年(令和4年)に、東京丸の内の明治生命館1階に美術館の展示ギャラリーを移転する[1]。美術品の保管管理・研究閲覧業務、並びに静嘉堂文庫 (書庫)、敷地・庭園の管理業務は、現在の世田谷区岡本で継続する。
沿革[編集]
- 1892年(明治25年)、駿河台の岩崎邸内に文庫「静嘉堂」を開設し、明治を代表する歴史学者の重野安緤が文庫長として管理していた[2]。のことであった。
- 1910年、高輪邸に新築移転した[2][3]。
- 1924年、関東大震災後、現在地(多摩川河畔紅葉丘)に文庫を開設。
- 1930年(昭和5年)、美術庫と鑑賞室を整備。
- 1940年(昭和15年)、貴重な図書を広く公開して研究者の利用に供するため、図書・建物・土地等の一切と基金とを寄付して財団法人静嘉堂を設立した。
- 1945年(昭和20年)、国宝・重要文化財を中心とする優品が岩崎孝子夫人から財団に寄贈された。
- 1953年、東洋文庫とともに国立国会図書館の支部図書館となる。
- 1970年、国立国会図書館から離れ、財団法人に復帰する。
- 1975年(昭和50年)、孝子夫人の逝去に伴い、岩崎家に残されていた収蔵品の全てと鑑賞室等の施設が、岩﨑忠雄氏より財団に寄贈された。
- 1992年(平成4年)4月、静嘉堂文庫美術館が開館した。
- 2014年春、1.5年休館し、空調・防火・照明・防犯設備の改修と展示品の修繕を行い、休館する。
- 2015年10月31日、リニューアルオープンし、「金銀の系譜―宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界」展を開催した[4]。
- 2019年4月13日(土)、「日本刀の華 備前刀」展を開催し、重要文化財 長船真長小太刀 鎌倉時代(13~14世紀) など備前の古刀を展示する(6月2日(日)まで)[5]。
- 2022年、千代田区丸の内の明治生命館(東京都千代田区丸の内2-1-1)に展示ギャラリーが移転する。
主な所蔵品[編集]
国宝[編集]
- 曜変天目(稲葉天目) 南宋時代(12~13世紀)
- 俵屋宗達筆「源氏物語関屋及澪標図屏風」 江戸時代(17世紀)
- 伝馬遠筆風雨山水図 南宋時代(13世紀)
- 倭漢朗詠抄 太田切 平安時代(11世紀)
- 趙孟頫筆 与中峰明本尺牘 元時代(14世紀)
- 手掻包永太刀 鎌倉時代(13世紀)
- 因陀羅筆 楚石梵琦題詩 禅機図断簡 智常禅師図 元時代(14世紀)
基本事項[編集]
- 名称:静嘉堂文庫美術館
- 創始者:三菱財閥二代目の岩﨑彌之助
- 事業主体:公益財団法人静嘉堂
- 所在地:〒157-0076 東京都世田谷区岡本2丁目23-1
- 交通:東急田園都市線・大井町線二子玉川駅下車、バスまたはタクシー。二子玉川駅バスターミナル4番のりばから東急コーチバス「玉31・32系統」「静嘉堂文庫」下車
- 開館時間:10:00~16:30 ※入館は16時まで
- 休館日 毎週月曜日(ただし祝日の場合は開館し、翌火曜日休館)
- 入館料:一般1,000円
リファレンス[編集]
- ↑ 重要文化財「明治生命館」への「静嘉堂文庫美術館」の移転について明治安田生命保険相互会社,2020年2月26日
- ↑ a b 小曽戸洋(2004)「静嘉堂文庫」日本医史学雑誌、第50巻4号
- ↑ ウィキペディア日本語版では1911年とする。
- ↑ 静嘉堂文庫美術館、リニューアル展第1弾二子玉川経済新聞、2015年10月30日
- ↑ 「日本刀の華 備前刀」“刀剣王国”備前の刀が静嘉堂文庫美術館にFashion Press、2019-03-14