富士茄子

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富士茄子(ふじなす)は「九十九髪茄子付藻茄子)」「松本茄子」とともに天下三茄子として賞された茶入である[1]。漢作[注 1]唐物[注 2]唐物大名物[注 3]である[2]

概要[編集]

茄子茶入は小坪の第一、要するに茶入れの筆頭として古くから鑑賞されてきた[3]。したがって茄子は時代と伝来が有るものが多い。富士茄子も、京都から東国公方に渡り。その後、今川氏をへて京都に戻り、茄子コレクターの前田家が所有した。当時、前田家では「富士」「曙」「七夕」「豊後」「利休小茄子」を所持していたと言われている[4]

名前の由来は茶入中秀逸であり茄子形ことから一富士、二鷹、三茄子にちなんだと言われている[5]。 富士茄子についての最も古い記述は1548年(天文17年)頃の京都の名物を記録した『往古道具値段付[注 4]』である[4]

伝来[編集]

伝来には複数の説がある。当初は足利義輝が所有しており、京の医師、曲直瀬道三が拝領し祐乗坊に与えた[2]。その後織田信長がこれを召し上げたが再び道三に戻り、道三から豊臣秀吉に献上され、秀吉から前田利家に与えられ、以後、前田家が所有した[2]。別の説では、京都から東国公方に渡り、茄子茶入に縁のある今川氏から京都に環流し、後に前田家に入ったとある[4]

信長公記には1569年(永禄12年)三月頃信長は「既に金銀・米銭に不足は無い。この上は唐物の茶入など天下の名物を集める。」と宣言し畿内の銘品の献上を命じた[注 5]。富士茄子は祐乗坊から信長に献上され、その後、元の所有者の曲瀬道三に下賜されているとある[6]

逸話[編集]

住吉屋宗無山上宗二が所司代の特善院前田玄以を通じて曲瀬道三に茶を所望したところ、道三は富士茄子を用いた。道三は、茶の湯の最中に富士茄子を置き直した。山上宗二は「茶を点てるとき、亭主が茶入れの表裏を間違えるか?」と苦言を呈して一悶着がおきる。しかし、この話を聞いた宗易は「昔、武野紹鷗は客それぞれに茄子の表を変えて茶を点てた事例がある。理由は一つ。一人ずつに銘品を鑑賞して貰おうとしたオ・モ・テ・ナ・シであり、道三もそれに倣っただけであり、宗二がその事を知らなかっただけである。」と一刀両断され宗二の面目は丸つぶれになった[6]

現状[編集]

公益法人前田徳育会が所蔵保管している。また、国の重要文化財に指定されている[7]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. 茶入れのうち製作年代が宋・元代と古く作品的にも優れているもの
  2. 中世から近世にかけて尊ばれた舶来品(made in Chaina)の別称
  3. 茶道具の世界で名物中の名物をさす専門用語
  4. 茶道具の相場一覧のようなもの
  5. 没収するだけでは無く所蔵主に金銀米穀を代償で与えたとの記録もある。

出典[編集]

  1. 矢野 2008, p. 120.
  2. a b c 有馬 2005, p. 530.
  3. 矢野 2008, p. 121.
  4. a b c 矢野 2008, p. 122.
  5. 井口 2010, p. 782.
  6. a b 矢野 2008, p. 125.
  7. 唐物茄子茶入(富士)”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2017年6月6日確認。

参考文献[編集]

  • 有馬頼底(監修)稲畑汀子(監修)筒井紘一(監修) 『茶の湯の銘 大百科』 株式会社淡交社、2005年7月10日、1st。ISBN 4-473-03212-4
  • 井口海仙(監修)末宗廣(監修)永島福太郎(監修) 『新版茶道大辞典』1巻、株式会社淡交社、2010年2月15日、1st。ISBN 978-4-473-03603-2
  • 桑田忠親 『戦国武将と茶の湯』 小和田哲男(監修)、宮帯出版社、2013年7月7日、1st。ISBN 978-4-86366-807-2
  • 矢野環 『伝承がわかる、歴史が見える 名物茶入れの物語』 株式会社淡交社、2008年12月16日、1st。ISBN 978-4-473-03540-0