乙殿 (天性院)

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乙殿(おとどの、生没年不詳)は、安土桃山時代武将織田信長隠し子と伝わる人物である[1]

生涯[編集]

信長の庶長子と伝わり、この場合は嫡子信忠より年長であった可能性もあり、生年は弘治3年(1557年)より以前だった可能性がある。母親は中条(ちゅうじょう)と言われる女性で、美濃武蔵武士である岩井丹波守の娘だったといわれる[1]。信長は中条が自分の子を懐妊したまま中条を埴原常安に嫁がせ、そこで生まれた男子、つまり自分の隠し子を常安の猶子にしたという[1]。幼名は乙殿で、後に雅楽介、左京亮と称した。母親の中条には信長から200石を与えられている[1]

天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が死去した後、常安は剃髪して信長の次男・信雄に仕えた[1]。常安は中条との間に子宝に恵まれず、嗣子として信長の後見人だった平手政秀の息子を養子にしているため[1]、乙殿は早くに死去した可能性がある。没年や墓所は不明で、法号は天性院殿信巌道貞居士[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e f g 歴史読本 『信長と26人の子供たち』P139

参考文献[編集]