上杉道満丸
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上杉 道満丸(うえすぎ どうまんまる、元亀2年(1571年) - 天正7年3月18日(1579年4月13日)は、上杉景虎の嫡男。兄弟は男子が1人(源桃童子)、女子が2人(還郷童女、某)いる[1]。
生涯[編集]
父は上杉景虎。母は長尾政景の娘・清円院。つまり北条氏康の孫、上杉謙信の養孫ということになる。
天正6年(1578年)に謙信が急死して御館の乱が開始されると、父と共に御館で伯父の上杉景勝軍を相手に戦う。しかし、武田勝頼の裏切りと北条氏政の支援が受けられなくなったため、景虎は景勝に和睦の使者として元関東管領である上杉憲政を派遣し、さらに人質として嫡男の道満丸を差し出そうとしたが、両者は春日山城に赴く途上で殺害された。享年9。法名は了空童子[1]。