三箇 頼運(さんか よりかず、天文23年(1554年) - ?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊臣氏、のち筒井氏の家臣。
三箇頼照の子。通称は孫三郎。受領名は伯耆守。父と同じようにキリシタンだったようで、マンショという洗礼名が伝わっている。
文禄4年(1595年)の秀次事件で父と母が連座して2人とも自殺しているが、頼運は連座を免れたようで伊賀国の筒井定次の家臣になっている(『切支丹大名記』)。