ロバート・ムガベ

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ロバート・ガブリエル・ムガベRobert Gabriel Mugabe1924年2月21日 - 2019年9月6日)は、ジンバブエ政治家学位法学修士理学修士(経済学専攻)。Mugabeという姓の発音はショナ語では「ムガベ」だが、英語では「ムガビ」のようにも発音する。

ジンバブエ首相(初代)、大統領(第2代)、アフリカ統一機構議長(第35代)、アフリカ連合議長(第13代)、ジンバブエ・アフリカ民族同盟代表、ジンバブエ・アフリカ民族同盟愛国戦線代表(初代)などを歴任した。1980年に首相に就任して以来、37年間に亘ってジンバブエに君臨したが、国防軍にクーデターを起こされ、2017年11月21日に大統領を辞任した。

概要[編集]

ジンバブエ北部クタマの出身。南アフリカ大学を卒業し、黒人解放運動に参加して、南ローデシア、次いでローデシアと呼ばれた当時のジンバブエで白人政権により1964年から10年間、投獄された。解放後、隣国のモザンビークに拠点を移してゲリラ戦を展開し、ジンバブエ独立に貢献して英雄視されるようになる。1980年首相1987年大統領に就任する。

ところがかつては独立の英雄として国民の敬意を集めたムガベも、長期政権になるにつれて白人敵視政策や野党弾圧が激しくなり、欧米諸国からはその強権支配を独裁と評され、国際的孤立と国民の不満を招く結果となる。2000年には白人農場主から土地を収用して黒人に再配分するという土地改革を強行し、これにより外貨収入のおよそ半分を占めていた農業生産が激減してしまう。さらにこれに合わせるように欧米諸国から経済制裁を受けるようになり、ジンバブエは極端な外貨不足に陥り、インフレ率が異常に高く(1日経てば倍以上のインフレも日常茶飯事だったという)、かつてのワイマール共和国ドイツ以上のインフレ、いわゆるハイパーインフレで経済が疲弊し、国民は困窮に苦しむことになる。

2017年、高齢に達したムガベは、妻を自らの後継者に据えようと画策したが、それに反対した軍隊の反乱が同年11月に発生し、ムガベは失脚を余儀なくされた。これにより37年間のムガベの政権は終焉を迎えた。

最晩年はシンガポール病院に入院しており、2019年9月6日に死去した。死因は不明。95歳没。

外部リンク[編集]