サルヴァトーレ・ブリガグリオ

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サルヴァトーレ・ブリガグリオ英語:Salvatore Briguglio、1930年2月4日 - 1978年3月21日)は、マフィアのヒットマン。通称はサル・ブリガグリオ(Sal Briguglio)、サリー・バグズ(Sally Bugs)。ジェノヴェーゼ・ファミリーのソルジャーで[1]、同ファミリーの一派であるプロヴェンツァーノ・グループに属した[2]全米トラック運転手組合(チームスターズ)第560支部執行委員[3]ガブリエル・ブリガグリオは弟。

経歴[編集]

初期[編集]

1930年2月4日、ニュージャージー州ユニオンシティのパリセード通り406番地で生まれた。朝鮮戦争ではアメリカ陸軍に従軍した。妻と2人の息子がいた[4]

マフィア時代[編集]

ブリガグリオはニュージャージーの高利貸、マフィアのヒットマンで[5]アントニー・プロヴェンツァーノジェノヴェーゼ・ファミリーのカポ)の右腕だった[1]。分厚いレンズのメガネをかけており、ヒットマンというより会計士のような見た目をしていた[6]。メガネの奥の目が昆虫の目のように見えることから、サリー・バグズという呼び名が付いた[7]。1950年代から全米トラック運転手組合(チームスターズ)第560支部に所属し、1961年9月から1966年8月まで、1969年4月から1973年6月まで、1974年2月から1978年3月に死亡するまで執行委員として勤務していた。また1972年から1973年6月まで、1974年初頭から1975年1月までパセーイクおよびベルゲンの基金の管財人の役職に就いていた[2]

1961年6月にチームスターズ副会長兼第560支部長だったプロヴェンツァーノの命令で、ブリガグリオ、サルヴァトーレ・シノ、K・O・ケーニヒスベルクの3人は、第560支部の財務担当者で改革派のアントニー・"スリー・フィンガーズ"・カステリートを絞殺し、遺体をニューヨーク州北部の農場に遺棄したとされる[8][9]。1961年9月にプロヴェンツァーノはカステリート殺害の見返りとしてブリガグリオを第560支部の執行委員に任命した[2]

1961年12月26日、ナンジオ・プロヴェンツァーノおよび他1人とともに、Braun Companyに労使間和平の見返りを要求する計画により、ニューヨーク州ニューヨーク郡で起訴された。重窃盗未遂の罪で有罪判決を受け、1966年8月から1969年2月にニューヨークで収監された[2]。1971年7月にトマス・アンドレッタ、アルマンド・ファウナおよび他3人とともに、ドル札、郵便切手、フードスタンプ偽造の容疑でニュージャージー州で起訴された[2][10]。1973年7月に14ヶ月の禁固刑を言い渡され、1974年2月頃まで収監された[2]。1975年以降にサルヴァトーレ・シノが司法取引を行ったため[9]、1976年6月にブリガグリオ、プロヴェンツァーノ、ケーニヒスベルクの3人はカステリート殺害の容疑で起訴された[3][6]

1975年7月30日に起きたジミー・ホッファ失踪事件の第1容疑者の1人として知られる。専門家の中にはブリグリオがホッファを殺害したと考える者もいる[11]FBI作成のホフェックス・メモに記されたホッファの拉致と殺害に関する9人(12人とも[11])の第1容疑者(アントニー・プロヴェンツァーノ、スティーヴン・アンドレッタ、トマス・アンドレッタ、サルヴァトーレ・ブリガグリオ、ガブリエル・ブリガグリオフランク・シーランラッセル・ブファリーノアントニー・ジアカローネチャッキー・オブライエン)はいずれも連邦大陪審で不起訴となっており[12]、ホッファの行方や関与した人物は分かっていない。

暗殺[編集]

1978年3月21日にマンハッタンリトルイタリーの「アンドレア・ドリア社交クラブ」前の歩道で射殺された。目撃者によると、2人のガンマンがブリグリオを押し倒し、彼の顔と胸を計4発撃った。2人のガンマンは北に走り去り、ニュージャージー・ナンバーの水色のフォードマーキュリーに乗り込んだという[3]

当時ブリグリオはカステリート殺害事件でプロヴェンツァーノに不利な証言をして司法取引をしようとしていたとされる[13]チャールズ・ブラントの『アイリッシュマン』(2004年)に記載されたシーランの証言によると、ブリグリオはファミリーの者に報告しないで連邦ビルに出入りしていたため情報提供者であるとの疑いをかけられ、命令を受けたシーランとジョン・フランシスがブリグリオを射殺したという[14]。弟のガブリエルやシーランはブリグリオが情報提供者であったことに否定的である[15]。ブラントはブリグリオが作家のダン・モルデアによるインタビューに応じたことや、2002年になってFBIが公表した文書にブリグリオが死亡した年である1978年以後は有力な手掛かりをつかんでいないと記されていることなどを挙げ、ブリグリオが誰かに胸の内を吐露したかったのではないかと推測している[16]。ブリグリオが情報提供者であったのか、誰になぜ殺害されたのかは分かっていない。

映画[編集]

2019年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『アイリッシュマン』では、ルイス・キャンセルミがサリー・バグズを演じている[6]

出典[編集]

  1. a b HOFFA ABDUCTORS REPORTED NAMED”. The New York Times (1975年12月5日). 2022年7月5日確認。
  2. a b c d e f United States v. Loc. 560, Intern. Bro. of Teamsters, 581 F. Supp. 279 | Casetext”. casetext.com. 2022年7月18日確認。
  3. a b c Buder, Leonard (1978年3月23日). “Federal Agents Hope Teamster Slaying in Little Italy Will Offer Leads in the Hoffa-Disappearance Case”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1978/03/23/archives/federal-agents-hope-teamster-slaying-in-little-italy-will-offer.html 2022年7月5日閲覧。 
  4. Salvatore Briguglio – 'Hoffa Hitman Gets Hit!'”. The New York Mafia (2019年4月6日). 2022年7月5日確認。
  5. Who are Allen Dorfman, Sally Bugs and Frank Sindone in The Irishman? A who’s who guide to the cast and characters”. The Sun (2019年11月28日). 2022年7月5日確認。
  6. a b c Who Was The Real Salvatore 'Sally Bugs' Briguglio, The Ruthless Glasses-Wearing Killer In 'The Irishman'?”. Oxygen True Crime. Oxygen Media LLC. 2022年7月5日確認。
  7. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 下』ハヤカワ文庫NF、2019年、175頁
  8. チャールズ・ブラント著、高橋知子訳『アイリッシュマン 上』ハヤカワ文庫NF、2019年、195頁
  9. a b 『アイリッシュマン 下』128-129頁
  10. Teamster Vice President, Five Others Indicted in Counterfeiting”. The New York Times (1971年7月6日). 2022年7月19日確認。
  11. a b McBride, Jessica (2019年12月1日). “Salvatore ‘Sally Bugs’ Briguglio: Real Story of His Death”. Heavy.com. https://www.heavy.com/news/2019/11/salvatore-sally-bugs-briguglio-death/amp/ 2022年7月5日閲覧。 
  12. 『アイリッシュマン 下』126頁
  13. Jimmy Hoffa: Disappearing Man - The Trial”. crimeandinvestigation.co.uk. 2022年7月5日確認。
  14. 『アイリッシュマン 下』132-136頁
  15. 『アイリッシュマン 下』241頁
  16. 『アイリッシュマン 下』136-139頁

外部リンク[編集]