エミネントシチー
エミネントシチー | |
---|---|
欧字表記 | Eminent City |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1998年5月4日 |
父 | ブライアンズタイム |
母 | ヘップバーンシチー |
母の父 | ブレイヴェストローマン |
生国 | 日本 |
生産 | 富川田中牧場 |
馬主 | 友駿ホースクラブ |
調教師 | 清水出美(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 23戦3勝(うち地方1戦1勝) |
エミネントシチー(Eminent City、1998年5月4日 - )は、日本の競走馬、繁殖牝馬である。
戦歴[編集]
ブライアンズタイム産駒の牝馬。
2001年3月に阪神競馬場開催の3歳未出走戦(芝1600m)でデビューし、3着。4月の阪神3歳未出走戦(芝2000m)で2戦目にして初勝利を挙げると、スイートピーステークス(オープン、芝1800m)に出走し5着。以後は条件戦を主戦場とし、2002年6月には笠松競馬場開催の木曽川特別(ダート1800m)で勝利。その後4歳以上500万下条件(ダート1800m)で1勝するもこれが最後の勝利となり、2003年8月の西海賞(1000万下条件、芝1800m)を以て23戦3勝の成績で引退、繁殖入りが決定した。
繁殖牝馬時代[編集]
引退後、幾千世牧場にて繁殖入り。初年度の2004年はゴールドアリュールが付けられ、産駒のエスポワールシチーはジャパンカップダート・フェブラリーステークス・かしわ記念・マイルチャンピオンシップ南部杯・JBCスプリントとG1・G1級競走で合計9度勝利し、種牡馬としても地方競馬におけるリーディングサイアーを獲得した。
エスポワールシチーを産んだ時がかなりの難産で、獣医師から繁殖は危険とドクターストップがかけられた。この時点で友駿ホースクラブはエミネントシチーの処分を牧場に命じるも、牧場は処分したという体で売却代金をクラブに支払い、実際は系列の乗馬クラブに預けて密かに生きながらえさせていた。そしてエスポワールシチーの大活躍と医師から繁殖再開の許可が降りたことで繁殖に復帰するも、2010年に生まれたゴールドアリュールとの間の仔が生後20日で夭折してしまう。この件が牧場とクラブの間で対立を生み、一度はエミネントを幾千世牧場への相談なく別の牧場に移動させた。その後エミネントは幾千世牧場へ戻ってきたが、エミネントとは別のクラブ所有の繁殖牝馬2頭が別の牧場に移動した。
この騒動を経た後もエミネントシチーは繁殖に供用され、2011年にはエスポワールシチーの全弟であるプレジールシチーが誕生。26戦3勝の成績で引退した。
2024年現在も繁殖登録はされているようだが産駒の情報がなく、現状最後の産駒となっているのは2019年生のテーオードレフォン(父:ドレフォン)である。
脚注[編集]