ウォルター・モンデール

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ウォルター・フレデリック・モンデール(英語:Walter Frederick Mondale1928年1月5日 - 2021年4月19日)は、アメリカ合衆国政治家。同国第42代副大統領(在任: 1977年1月20日 - 1981年1月20日)。第23代ミネソタ州検事総長、連邦上院議員、第24代駐日アメリカ合衆国大使を歴任した。1984年アメリカ合衆国大統領選挙での民主党の大統領候補であった。

経歴[編集]

アメリカ中西部のミネソタ州南部・セイロンで生まれる。同州の司法長官を務めた後、1964年に36歳で上院議員となる。1977年に発足したジミー・カーター政権で副大統領に就任し、副大統領として初めてホワイトハウスに執務室を構えたことで知られている。カーター大統領と共に内政、外交に取り組んだが、この時代にアメリカ史上で最悪と言われたスリーマイルアイランド原発事故を経験している。

リベラル派として人気があり、1984年には大統領選挙に民主党候補として出馬し、当時は下院議員だったジェラルディン・フェラーロを主要政党で初めて女性副大統領候補に選んだりして注目を集めたが、共和党候補のロナルド・レーガンに歴史的大敗を喫したため実現することはなかった。

ビル・クリントン政権時代に1993年から駐日大使に任命され、この時代にも1995年沖縄県で発生した米兵による少女暴行事件を契機として反基地運動が高まるなどの苦難を経験している。モンデールは宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還合意に尽力し、1996年4月橋本龍太郎首相との合意を発表した。また、スリーマイルアイランド原発事故の経験から、福島県原発を視察したりもしている。1996年まで駐日大使を務め、2008年には桐花大綬章を贈られている。

2021年4月19日にミネソタ州ミネアポリスの自宅で死去。93歳没。

外部リンク[編集]