ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ
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選手情報 | |
---|---|
本名 | ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ |
英字表記 | Will |
生年月日 | 1973年12月15日(50歳) |
出身地 | ブラジル |
身長 | 177 cm |
体重 | 76 kg |
ポジション | フォワード |
クラブチーム | |
1999-2003 2001 2002 2003 |
大分トリニータ →コンサドーレ札幌 →横浜F・マリノス →コンサドーレ札幌 |
ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ(Will Robson Emilio Andrade、1973年12月15日 - )はブラジルのサッカー選手。
人物[編集]
エースストライカーとして活躍する一方で、気性の荒さ、体重をコントロールできない自己管理の甘さ、自己中心的なプレイなどもしばしば覗かせた。2002年に所属した横浜F・マリノスでは、Jリーグカップでのジェフユナイテッド市原戦で立石智紀、中西永輔を故意に負傷させたり、練習法などを巡ってセバスティアン・ラザロニ監督と対立するなど、トラブルが絶えなかった。更に10月26日のジュビロ磐田戦において、味方のMF奥大介が試合中に自分にパスを出さなかったことに腹を立て、奥を後ろから蹴るなど暴行を働いた。この一件が原因となり、横浜FMを解雇された[1]。
その後、2003年には再び札幌に期限付き移籍[2]するも怪我に悩まされ、リハビリ中に飲食店で暴力事件を起こした。罰金などの処分にとどまったが処分が甘すぎると地元紙の北海道新聞がウィルと札幌フロントの処分内容を激しく糾弾するなど波紋が広がった。
しかし、むしろそれらを愛すべき点として、また高所恐怖症やウクレレが趣味などといった人間くさい一面とのギャップ、また札幌時代には函館での試合後にスーパー北斗車内で偶然乗り合わせた札幌へ帰るサポーターの一団と交流するなどファン思いのキャラクターもあり、大分のサポーターが名付けた「俺王」(札幌ではその功績から「俺王様」とも呼ばれた)の異名で、様々なチームのサポーターに親しまれた。
クラブチームの統計[編集]
年度 | リーグ | 番 | 試合 | 得点 | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|---|
大分 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
1999 | J2 | 10 | 30 | 18 | 4 | 0 |
2000 | 10 | 29 | 22 | 2 | 0 | |
通算 | 59 | 40 | 6 | 0 | ||
札幌 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2001 | J1 | 9 | 26 | 24 | 2 | 2 |
通算 | 26 | 24 | 2 | 2 | ||
横浜FM | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2002 | J1 | 9 | 24 | 14 | 6 | 2 |
通算 | 24 | 14 | 6 | 2 | ||
札幌 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2003 | J2 | 9 | 4 | 4 | - | |
通算 | 4 | 4 | 0 | 0 | ||
大分 | リーグ | Jリーグ杯 | ||||
2003 | J1 | 11 | 16 | 2 | 0 | 0 |
通算 | 16 | 2 | 0 | 0 | ||
総通算 | 129 | 84 | 14 | 4 |
出典[編集]
- ↑ 増島みどり (2018年5月3日). “Jリーグ磐田ギレルメ横浜M戦で暴力行為「’あの時’のショックを思い出した。全てのサッカー関係者に申し訳ない」名波監督同カードでの過去も重なり沈痛謝罪”. スポーツライター増島みどりの「ザ・スタジアム」. 2018年9月19日確認。
- ↑ “ウィル選手 期限付き移籍 決定のお知らせ” (プレスリリース), コンサドーレ札幌, (2003年1月18日), オリジナルの2003年12月23日時点によるアーカイブ。 2017年10月29日閲覧。
外部リンク[編集]
J1リーグ得点王 |