よみもの:オリックス・バファローズが弱い

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祝・優勝!!
2021年10月27日、25年ぶりにパ・リーグ優勝を果たしました。
下記の内容は2018年時点でのものです。加筆・修正をよろしくお願いします。
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全文を読むには 約 5 分 かかります。
Baseball Batter.jpg オリックス・バファローズ Baseball Pitcher.jpg
所属連盟パ・リーグ
運営会社{{{運営会社}}}
オーナー{{{オーナー}}}
監督中嶋聡
リーグ優勝回数14回(優勝年:1967 1968 1969 1971
1972 1975 1976 1977
1978 1984 1995 1996
2021 2022)
日本シリーズ優勝回数4回(優勝年:1975 1976 1977 1996)
永久欠番なし
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オリックス・バファローズが弱すぎます。
1996年に(この時の名前はオリックス・ブルーウェーブでした)日本一になってから、2021年までずっと優勝していませんでした。プロ野球12球団で1番優勝から遠ざかっていた、言い方次第では最弱だったチームです。
それから、人気もありませんし、パリーグ他5球団と違い、贔屓にしてくれる地上波民放局もありません。どのくらいかというと、このリンクがこのよみものへのリダイレクトになっているくらいです。

お金は沢山ありますし、有名な選手もたくさんいます。どうしてこうなった。

以前は強豪チームとして知られてきたが・・・・

なぜ弱い[編集]

主力の移籍[編集]

振り返ってみると、優勝した次の年から何かがおかしくなっていました。

1997年、エースの長谷川滋利がメジャーリーグに移籍しました。今はコーチをしている勝呂壽統も、元レギュラーですが大阪近鉄バファローズに移籍していきました。代わりにやってきた選手はいません。金銭トレードで主力選手を放出しているのです。長谷川はメジャー挑戦だから仕方がないというかもしれませんが、オリックスというチームはこれ以降「若返り」の御旗の下でレギュラーを簡単に他球団に移籍させるようになりました。看板選手が次々といなくなったチームの試合を見に来る人は、たちまちいなくなりました。

ドラフトの失敗[編集]

ドラフトの失敗として有名なのは新垣渚の入団拒否事件です。編成部長の自殺は間違いなく選手たちに衝撃を与えました。この翌年は若手の伸び悩みが目立ちました。観客はますます減っていきました。

また、下位指名の選手の契約金をゼロにしてハングリー精神を植え付けようとしましたが、かえってそれを不満に入団拒否する選手が現れました。契約金ゼロの選手の多くは2年や3年でクビにされ、更に新人選手への印象を悪くしました。この頃のドラフト戦略は明らかに間違いでした。

監督ガチャ[編集]

2001年、ついにイチローがいなくなったチームは戦力不足を露呈しました。ここでフロントは名将・仰木彬をクビにして、後任に石毛宏典を招聘しようと考えました。石毛は埼玉西武ライオンズのスター選手でしたが、オリックスには縁もゆかりもありません。わざわざ外様監督に就任をお願いしたのですが、その後のゴタゴタ(この辺はwp:ja:石毛宏典を参照)や成績不振、極め付けに社長が連れてきた新外国人を2軍で干したりしてフロントの顰蹙を買い、2年目の2003年春にクビになりました。防御率リーグ1位・2位の先発投手が揃って負け越すほど野手が打ちませんでした。

新しい監督はまた外様のレオン・リーです。石毛がコーチとして招いたこの外国人は攻撃が大好きで、守備が上手くなかった外国人をどんどん使いました。同じタイミングで主力投手が怪我をしたり調子を落としたので、オリックスは何点取っても勝てないチームになりました。伝説の1対29もこの年にあった試合です。レオンも1年でクビにされました。

2004年は、GM職を新設し、伊原春樹という有能な監督を西武から引き抜きましたが、もう強い選手は移籍していたのでどうにもなりませんでした。29点取られた相手の福岡ダイエーホークスには、27試合でたった3勝しかできませんでした。この年は有名なプロ野球再編問題があった年で、近鉄と合併する計画がスクープされて選手たちは混乱しました。結局合併は予定通りに進んで、オリックス・ブルーウェーブの歴史は終わりを告げました。皮肉なことに、6位のオリックスが5位の近鉄を吸収することになったのです。

合併球団の憂鬱[編集]

合併球団オリックス・バファローズは「オリックスと近鉄のいいとこ取り」をしたようなチームでした。仰木彬を新生バファローズの監督に迎え、解説者たちは高く評価しましたが、いかんせん5位と6位が合併したところですぐに強くなるわけではありませんでした。

オリックスはお金持ちなので、毎年のように名前の知れたロートルを連れてきました。清原和博中村紀洋李承燁許銘傑中島宏之トニ・ブランコなど、沢山の選手を高額で雇いましたが、怪我や衰えで前の球団ほど働けませんでした。生え抜きの谷佳知も不釣り合いなトレードで読売ジャイアンツに行き、全盛期を過ぎてからまた契約しましたが活躍できませんでした。強力な外国人打者をズラリと並べた年もありましたが、やはり怪我だらけで全員揃って働くことはありませんでした。

大型補強と対照的に、ドラフトはその後も失敗が続きました。ここ最近成績のいいソフトバンクや広島東洋カープ横浜DeNAベイスターズと比べて、生え抜きの選手が主力になっていません。沢山の選手が伸び悩み、くすぶっています。

仰木勇退後、中村勝広テリー・コリンズ大石大二郎岡田彰布森脇浩司と続いた監督は、2015年の途中から2018年まで福良淳一が就きました。この監督の評価はファンの間でも分かれていますが、監督の好みで選手を起用する癖が指摘され、お気に入りの選手を使いたがり、経験豊富な選手や調子のいい選手がベンチに追いやられていました。

あれ、これどこかで見たよね。

2000年以降、Aクラスになったのは2008年2014年しかないんですよ。

2008年(途中から大石大二郎が指揮)は……たしかにあの年は期待を持たせるような内容でしたし、たくさんの有望株が現れました。残念ながらその後大成した選手が少なく、僅かな成功者も他のチームに行ってしまいました。それがオリックスクオリティ。

結論[編集]

歴史は繰り返す。

そして… [編集]

2021年、今までムエンゴに苦しめられてきた山本が18勝 と勝ち星を積み重ね、ラオウ杉本の覚醒、それ以外 にも宮城、宗、紅林など多数の選手が活躍。 Aクラスに2014年ぶりに入ってんほんほ するどころか、なんとパの覇者となりました! 確かに、日本シリーズでは4-2でヤクルトに 敗れましたが、このよみものを最初に書いた人も、 きっと喜んでいるはずです! おめでとう、オリックスバファローズ! ありがとう、オリックスバファローズ
そして、2022年も…まさかのペナント連覇。クライマックス連覇。そしてヤクルトとの再戦。第1戦での山本のアクシデントにめげず、念願の日本一をもたらしました。