1999年・2001年のヤクルトスワローズのユニフォーム

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1999年・2001年のヤクルトスワローズのユニフォームヤクルトスワローズ1999年2005年までの若松勉監督時代に使用されたユニフォームのうち、1999年のみ使用された左袖球団創設50周年記念ロゴユニフォームと、同時にユニフォーム登録されたものの、実際に使用されたのが1999年の後半のみだったビジター用赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ使用ユニフォーム、さらに2001年シーズン終盤のみ使用されたホーム用赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ使用ユニフォームのことを指す。記念ロゴは1年のみの使用だったため、実際に短命だったが、赤ツバ帽子・赤アンダーシャツ・赤ストッキングはユニフォーム登録されたものの、使用されたのが先述の時期のみだったため解釈上短命ユニフォームとして扱った。なお、1990年1998年までの野村克也監督時代に使用されたユニフォーム(荒川博広岡達朗折衷型デザイン)は補足事項として扱う。

デザイン[編集]

1999年~2005年のユニフォームには合計6パターン存在するとされていたが、実際にその目で確認したものはいない。

  1. 帽子・アンダーシャツ・ストッキング・胸のSwallowsロゴ・胸及び背番号・背ネーム・左袖のYakultロゴは濃青。白に赤のストライプ(ホーム用(1))
  2. ホーム用(1)にアンダーシャツ・ストッキングが赤バージョン(ホーム用(2) 使用せず)
  3. ホーム用(2)に帽子ツバが赤バージョン(ホーム用(3) 2001年9月24日の対巨人戦で使用)
  4. クリーブランド・インディアンスのサブホーム用に準じたデザイン。帽子・アンダーシャツ・ストッキング・上着が濃青。胸のYakultロゴと背番号が赤で白の縁取り。胸番号・背ネーム・左袖のSwallowsロゴ・ラケットラインが白。ズボンは白で赤と青のラインが入る。(ビジター用(1))
  5. ビジター用(1)にアンダーシャツ・ストッキングが赤バージョン(ビジター用(2) 使用せず)
  6. ビジター用(2)に帽子ツバが赤バージョン(ビジター用(3) 1999年後半から終了まで使用 ※但し2000年8月29日の対横浜ベイスターズ戦に於いても着用していた)

帽子のYsマークはYが赤でSが青。それらを白で囲むのは共通。1999年のデザインには球団創設50周年ロゴが、2000年以降はペットマークが復活し、ボールの上をツバメが飛ぶエンブレムが左袖に縫い付けられていた。

概要[編集]

1998年をもって野村監督が勇退。ヤクルト生え抜きでかつての中心打者・若松勉が後任監督に就任するとユニフォームが新調されたが、ユニフォームの変更は野村監督時代に検討され実施されることとなっていた。しかし1997年に日本一になると野村監督から「ユニフォームを変えると成績が下降するからダメ」とクレームがつけられてしまい[1]、結局は野村監督勇退以降まで待たなければならなかった。以降、若松監督が勇退する2005年まで使用されたが、若松時代のユニフォームはバリエーションが豊富だったとされている。ユニフォームを新調した当時ヤクルトはメジャーリーグベースボールのインディアンスと業務提携しており、ユニホーム新調の際、インディアンスを含め当時メジャーリーグで流行していた多種類のユニフォームのデザイン、例えば帽子のデザイン・アンダーシャツとストッキングを複数のデザインにすることを取り入れていたが実際に使用されていたのはホーム用①とビジター用①の2種類。ホーム用とビジター用の②はついに使用されずビジター用③とホーム用②は前者1999年・2000年、後者2001年に使用されただけであった。

その内ビジター用の③は1999年の後半から使用されていた。これはチームが低空飛行を続けていて気分転換のためであったが数試合使われたのみで結局この年は4位に終わる。翌2000年も上記の試合で使用された。そして2001年のシーズン終了間際にホーム用の③が登場した。この年のヤクルトは首位争いでトップに立っていたが長嶋茂雄監督率いる巨人が終盤に猛追したため、首位争いは熾烈を極めていた。9月22日からの神宮での対巨人3連戦、巨人に2連敗を喫して迎えた3戦目に流れを変える意味も込めてホーム用の③を着用したが、結果は敗戦。赤ツバ帽子、赤アンダーシャツとストッキングは1日で封印された。その後、ヤクルトは巨人の猛追を振り切り4年ぶりにリーグ優勝、日本一になったが、2001年の日本シリーズ2002年以降は赤が使われることはなかった。

ちなみにヤクルトは1999年のみ球団創設50周年ロゴをつけたユニフォームを使用しているがこれは便宜上の短命だった。

補足事項[編集]

1990年~1998年までの野村克也監督時代のユニフォーム(荒川博+広岡達朗折衷型デザイン)の変遷は以下の通り。

  1. 1990年~1993年 ホーム用は胸ロゴと背番号の縁取り、ズボンのラインが廃止された以外、デザイン的には1978年からのデザインと変わらないが、赤のストライプが若干細目になり、間隔が狭まる。ホーム用の胸Swallowsロゴ・胸番号・背ネーム・背番号・左袖Yakultロゴ・アンダーシャツ・ストッキングは青で首周りと袖のライン、ストライプは赤。ビジター用はシャドウストライプ[2]が入ったスカイブルー。胸のYakultロゴ・背番号は青で縁取りは白だがロゴ・背番号が立体的デザインのため縁取りがやや右下にずれる。背ネームは青で胸番号・左袖Swallowsロゴは赤。首周りと袖のラインは中央白・両端青(ヤクルトスワローズ初期は白のストライプ入り。初代は首周りと袖ラインが中央白・両端紺)。帽子は青でYSマークは白(YSマークは荒川時代からの採用だが、青一色となったのは広岡時代後期から)。
  2. 1994年1996年 ホーム用の袖のラインを廃止し、ビジター用の胸Yakultロゴの書体を変更。Swallowsロゴの2つ目の「w」を従来より鮮明にした。ホーム用・ビジター用の左袖にペットマークが復活。この年からマスコットとなったつば九郎のイラストが入り、イメージが大きく変更された(球団名がサンケイアトムズとなった1966年から1970年まで鉄腕アトムが使用されており、24年ぶりの復活となった)。帽子マークは1974年から20年間使われていた鋭角形YSマークから斜体のYsマークに変更された(ヤクルトアトムズ時代の1969年から2年間に使用されたデザインと同様、Yが赤・sが青で白の縁取り)使用された。
  3. 1997年~1998年 ビジター用のみマイナーチェンジが行われ、それまで残っていた袖ラインを廃止(前述のユニフォームリニューアルで復活。ホーム用のラインは1999年廃止)。ホーム用同様シンプルなデザインとなった。

脚注[編集]

  1. 野村は、南海ホークス(現;福岡ソフトバンクホークス)での選手兼任監督時代は頻繁にユニフォームの変更(自身が就任した1970年1972年)、マイナーチェンジ(1974年から毎年)を行っていた。
  2. ホーム用でもシャドウストライプ素材を使用した時期があったが、赤ストライプが入っていたため、ほとんど目立たなかった。