黒岩種直

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黒岩 種直(くろいわ たねなお、? - 天正10年(1582年)8月)は、戦国時代武将安芸氏家臣、後に長宗我部氏家臣。通称は掃部(かもん)[1]

略歴[編集]

安芸氏の忠臣であった黒岩越前守の子とも弟ともいわれる。越前守は安芸国虎の自害後、長宗我部元親の仕官要請を拒否して殉死したが、種直は元親に仕えた。天正10年(1582年)8月、中富川の戦いにおいて戦死した[1]

種直には子に治部左衛門玄蕃がおり、この両名も父に従って中富川に参戦し、特に玄蕃は父が討たれたことを知ると父の仇を討ったという。また、治部左衛門は後に讃岐国引田の戦いに参加し、志度城主を捕虜にするという功績を立てた。のち、玄蕃は長宗我部氏が滅亡すると、山内氏に仕えて山内康豊の家臣になったという[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 山本大「長宗我部元親のすべて」P193

参考文献[編集]