黒岩 玄蕃(くろいわ げんば、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。長宗我部氏の家臣。祖父か伯父に黒岩越前守。父は黒岩種直。兄は黒岩治部左衛門[1]。
父や兄と共に長宗我部元親に仕え、天正10年(1582年)の中富川の戦いで父が討たれると、自らはその仇を討ったという[1]。
文禄4年(1595年)、元親の命令で蜂須賀家政に通じたと見なされた志和勘助を安芸において襲撃して殺した[2]。
関ヶ原の戦いで長宗我部盛親が改易になると、後を受けて土佐国に入国してきた山内一豊の弟・康豊に仕えた[1]。