黒坂藩
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黒坂藩(くろさかはん)は、江戸時代初期のわずかな期間だけ伯耆国に存在した藩である。藩主家は外様大名の関氏(5万石)。藩庁は黒坂城。現在の[[鳥取県日野郡日野町黒坂)に存在した藩。
概要[編集]
この地は毛利元就や尼子晴久などが争奪を繰り返した地である。江戸時代になると米子藩主・中村一忠の所領に編入されたが、慶長14年(1609年)に一忠が死去して中村氏が改易になると、慶長15年(1610年)に伊勢亀山藩主の関一政が2万石加増の5万石で黒坂藩に入り、立藩した。
一政は築城や城下町建設で尽力し、藩政の確立に努め、大坂の陣においても戦功を挙げたが、元和4年(1618年)7月、家中における内紛を理由に幕命により改易され、黒坂藩は廃藩となった。その後、黒坂の所領は鳥取藩主の池田家の属領となった。
歴代藩主[編集]
- 関家
外様。5万石。