黄琬
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黄 琬(こう えん、141年 - 192年)は、中国の後漢末期の政治家。字は子琰(しえん)[1]。曾祖父は黄香。祖父は黄瓊(黄琼)。
生涯[編集]
荊州江夏郡安陸県の出身。早くから朝廷に仕えていたが、党錮の禁で陳蕃らと共に政界追放となり、20年余りも復帰できなかった[1]。178年から184年の間に復帰して侍中・豫州牧となる[1]。董卓が政権を掌握すると中央に召還されて司徒・太尉となるが、190年に董卓の長安遷都に反対したため免職される[1]。後に復職を許されて光録大夫・司隷校尉となり、王允や呂布らと董卓暗殺計画にも加担した[1]。192年に董卓を暗殺する事には成功したが、その残党である李傕・郭汜らの反撃を受けて捕らえられ、同年の内に獄死を遂げた[1]。享年52。
『三国志演義』でも同じであるが、第56回で架空の息子の黄奎が現れて馬騰と共に曹操暗殺を密議している。