鴨方藩

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鴨方藩(かもがたはん)は、岡山藩支藩であり、江戸時代中期から明治時代初期まで備中国に存在したである。藩庁は鴨方陣屋。藩主家は外様大名池田氏。石高は2万5000石。現在の岡山県浅口市(旧浅口郡鴨方町)に存在した。

概要[編集]

寛文12年(1672年)、岡山藩主の池田光政隠居した際、光政の次男の政言が新田の2万5000石を分与されて立藩した。鴨方藩と称したのは明治2年(1869年)に鴨方村に陣屋を設置したときであり、それまでは岡山新田藩(おかやましんでんはん)と言われていた。ただし、岡山新田藩は別にもあるため(生坂藩)、区別するために鴨方藩と呼ぶことが多い。

この藩は独自の藩政機構を持っておらず、完全に岡山藩の管理下に置かれており、藩の屋敷も岡山に置かれているに過ぎなかった。池田氏の支配が続いて明治維新を迎え、明治4年(1871年)の廃藩置県により鴨方藩は消滅した。

歴代藩主[編集]

池田家 - 外様 2万5000石

  1. 政言
  2. 政倚
  3. 政方
  4. 政香
  5. 政直
  6. 政養
  7. 政共
  8. 政善
    • 幕府の公式記録にはないが、はじめ政広(官位なし)が藩主を継ぎ、その身代わりで政善が擁立された。
  9. 政詮
  10. 政保