鳥坂城 (阿波国)
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鳥坂城(とっさかじょう)は、徳島県石井町にかつて存在した日本の城である。別名は茶臼山城(ちゃうすやまじょう)。
概要[編集]
石井町の南東端にある標高212メートルの気延山北麓の丘陵突端の茶臼山に築かれていた中世の山城である。源平合戦の際に源頼朝に従って武功を立てた佐々木経高は、文治2年(1186年)に阿波国・淡路国・土佐国の3か国の守護職を与えられて、本国を阿波国と定めて入国するとこの地に築城して守護所とした。恐らく、この地が吉野平野に突出する四国山地の東端に位置しており、阿波国や淡路国の両国を統轄する枢要の地であったためと思われる。ただ、経高は頼朝に従って中央政権に参画したり、京都大番役を務めるために在京したりすることが多く、領国の統治は次男の佐々木高兼が担当した。
頼朝の死後、経高は罪を犯したとして一時的に守護職を剥奪されたが、程なく復帰している。承久の乱が起こると、佐々木氏は一族そろって後鳥羽上皇に属したことから、経高は幕府軍に敗れて自害。長男の佐々木高重は捕縛されて処刑。次男の高兼らは阿波国の鳥坂城に籠城して抗戦するも、北条義時によって新たな阿波守護に任命された小笠原長清に攻められて落城し、こうして佐々木氏は没落した。長清の子・小笠原長経は佐々木氏の守護所を廃して井隈荘(後の勝瑞城)に移したため、この地は顧みられなくなった。
現在ではわずかに土塁を残すのみとなっている。