高翔
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高 翔(こう しょう、生没年不詳)は、中国の後漢末期から三国時代にかけての蜀の武将。高祥・高詳とも表記される[1]。
生涯[編集]
劉備の頃からの家臣で、219年の漢中郡争奪戦に参加している[1]。しかし武将としては余り優れておらず、先の漢中戦も228年の北伐でも魏軍に敗れている[1]。231年の北伐では魏延や呉班の助けもあってか司馬懿・張郃らを破っている[1]。しかしこの北伐では李厳が兵糧輸送の困難から偽って蜀軍を撤退させ、後に不正が露見すると李厳に対する弾劾状に高翔の名前が記されており、右将軍・玄都侯・督前部の地位にあったことがわかっている[1]。
『三国志演義』では北伐の頃から登場し、諸葛亮の計略に従って魏軍を破っている。最後の北伐では夏侯覇らを偽りで敗走することで魏軍に慢心を持たせる役目を果たした。