高津戸城
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高津戸城(たかつどじょう)とは、現在の群馬県みどり市大間々町高津戸1089にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
高津戸峡の東側に盛り上がった要害山一帯にあった城である。
この城は戦国時代に里見勝政・勝安の兄弟によって築城されたと言われている。伝えるところによると、この兄弟の父・里見勝広は甲斐出身の武将だったが、主君の桐生重綱に同僚の讒言によって疑われ、その命令で自殺させられた。この際、兄弟は父の仇を討つために越後の上杉謙信の下に逃れて、その支援を得て天正3年(1575年)に要害山に帰還した。しかしこのとき、既に桐生氏は滅亡しており、桐生領は由良氏の支配下に置かれていた。
兄弟は謙信没後の天正6年(1578年)9月に由良氏の攻撃を受け、高津戸城は落城して里見兄弟は城と運命を共にして滅亡した。
現在は要害山の東麓、高津戸橋下流の渡良瀬川べりにある阿弥陀堂の境内に、里見兄弟のものと伝わる墓塔が現存している。また、春のシーズンには桜が美しく咲いており、頂上からの眺望も見事である。