壬申の乱

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壬申の乱(じんしんのらん)は672年第39代天皇の弘文天皇と第40代天皇の天武天皇との間で起こった皇位継承争い。この争いに勝利した天武天皇が弘文天皇を廃して天皇となる。

概要[編集]

天智天皇の大化の改新を支えてきた弟である大海人皇子(後の天武天皇)は天智天皇の次に皇位につくに相応しい人物であった。しかし、天智天皇は自分の息子である大友皇子(後の弘文天皇)を日本史上初めて太政大臣に任命する。

記紀等によると、天智天皇は崩御前に皇位は大海人皇子に嗣ぐよう遺言しているが争いを恐れた大海人皇子は天智天応崩御後に吉野へ隠居した。しかし、大友皇子との確執や豪族が大友皇子派と大海人皇子派に別れ不穏な動きが発生する。このため、大海人皇子は吉野から東国(伊勢・尾張・美濃)に逃れ、東国の豪族とともに近江の弘文天皇との間で戦闘を起こすことになった。

記紀は天武天皇に有利に記載されているので、一概に全てを信じることは出来ないが白村江の戦い以降に軍備拡張していた東国の豪族をまとめ上げ、短期間で壬申の乱を終わらせていることから考えると、豪族達は弘文天皇よりも天武天皇を支持していたと考えられる。