須藤甚一郎
須藤 甚一郎(すどう じんいちろう、1939年〈昭和14年〉1月27日[1] - 2020年〈令和2年〉8月11日[2][1])は、日本の芸能リポーター[2]、政治家。芸能リポーターの草分けの1人として活躍[2]。目黒区議会議員(6期)[2]、民主党参議院比例区第40総支部長を務めた。
人物[編集]
東京府(現・東京都板橋区)生まれ[1][3]。早稲田大学第二政経学部政治学科卒業[1]。既婚者で長男、孫もいる[1]。
大学卒業後、エジプト大使館などに勤務後、女性週刊誌 『女性自身』 (光文社)、『微笑』 (祥伝社) などの記者を務めた[1]。『微笑』には1971年(昭和46年)の創刊時にも関わっている[1]。その後、芸能リポーターとして、1978年(昭和53年)から1985年(昭和60年)までテレビのワイドショー、『アフタヌーンショー』 (テレビ朝日)、さらに、『おはよう!ナイスデイ』 (フジテレビ)、『ルックルックこんにちは』 (日本テレビ)などに出演した[1]。芸能の他、政治や事件の取材も行った[4]。
1999年(平成11年)からは東京都目黒区議会議員を6期務めた[2]。2019年(令和元年)には得票数2位で6回目の当選を果たす[1]。それ以外の2003年(平成15年)、2007年(平成19年)、2011年(平成23年)、2015年(平成27年)はいずれもトップ当選である。2001年(平成13年)には参議院選挙の比例代表に民主党から立候補したものの落選した。
2019年(令和元年)夏に熱中症で倒れてからは入退院を繰り返し、車いすで生活をするようになる[1]。死去する2 - 3か月前に誤嚥性肺炎となって容体が悪化[1]。東京都目黒区議会議員在職中の2020年(令和2年)8月11日午後4時頃、多臓器不全のため、神奈川県内の病院で死去[2]。81歳没[2][1]。戒名はなし[5]。桐ヶ谷斎場で火葬に付された[6]。
著書[編集]
- 『芸能界今日モ醜聞アリ! 』 1986年 日本経済通信社 ISBN 4-8187-0081-9
- 『芸能界またもスキャンダル』 1986年 日本経済通信社 ISBN 4-8187-0083-5
- 『悲しき芸能人たち テレビ週刊誌では言えない』 1986年 日本経済通信社 ISBN 4-8187-0088-6
- 『ダイアナが遺した言葉 二十世紀の薔薇』 (下森真澄との共著) 1998年 ケイエスエス ISBN 4-87709-199-8
- 『まっ黒長屋の物語』 2009年 三一書房 ISBN 4-380-08229-6
映画出演[編集]
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f g h i j k l “芸能リポーターの須藤甚一郎さん 81歳で死去 長男「孫の写真を見ると涙を流していた」”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2020年8月14日) 2023年2月16日閲覧。
- ↑ a b c d e f g “須藤甚一郎さん死去 芸能リポーターの草分け、目黒区議”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2020年8月13日) 2023年2月16日閲覧。
- ↑ 須藤甚一郎 - スタ☆スケ(ザテレビジョン)
- ↑ “芸能リポーター須藤甚一郎さん死去 政界にも進出”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年8月13日) 2023年2月16日閲覧。
- ↑ “元芸能リポーター・須藤甚一郎さんの通夜に100人参列 鳩山由紀夫元首相からは弔電”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年8月19日) 2023年2月16日閲覧。
- ↑ “元芸能リポーター・須藤甚一郎さんの葬儀が営まれる ひつぎには名刺や区議会資料”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年8月19日) 2023年2月16日閲覧。
外部リンク[編集]
- 須藤甚一郎ホームページ
- 須藤甚一郎 - スタ☆スケ(ザテレビジョン)