青木 鶴(あおき つる、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田氏の家臣。
美濃国出身で、織田信長の小姓として仕えた。
『信長公記』によると、天正7年(1579年)12月5日に摂津国高槻城に使者として派遣され、荒木村重の謀反に同調した高山友照の身柄を引き取って越前国の柴田勝家の下まで連行したという。
以後は史料に登場せず、2年半後の本能寺の変で討死した形跡も無い。