長束玄春

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
長束 玄春
なつか げんしゅん
性別 男性
時代 戦国時代から安土桃山時代
生年月日 不詳
死没日 慶長5年(1600年9月
死因 処刑
肩書き 長束氏家臣
国籍 日本国旗.png日本
水口盛里
家族構成 正家直吉玄春

長束 玄春(なつか げんしゅん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将長束氏の一族で家臣[1]

略歴[編集]

豊臣政権五奉行である長束正家の弟[1]。諱に通字の「正」が使われておらず、玄春と変わった名乗りから出家していたのかもしれない。

慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いでは兄に従って西軍に属し、9月15日の本戦にも参加。しかし西軍が敗れて近江水口城に逃亡する際、東軍山岡道阿弥の追撃を受けて捕らえられ、処刑された[1]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b c 渡邊大門「関ヶ原合戦人名事典」P274

参考文献[編集]