長崎市への原子爆弾投下

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長崎市への原爆投下(ながさきしへのげんばくとうか)とは、この記事が作成されたちょうど73年前(昭和20年(1945年8月9日午前11時2分)に起こった原子爆弾の投下である。広島県広島市と並んで2回目の原子爆弾投下であり、プルトニウム型爆弾が使用された。

概要[編集]

昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍のB29爆撃機「ボックスカー」によってプルトニウム型原子爆弾(通称・ファットマン)が投下され、長崎市の上空およそ500メートルの地点において炸裂した。爆心地は長崎県長崎市松山町である。この原子爆弾の投下により、長崎市街の3分の1が廃墟となり、7万3884名の命が爆風や熱線、火災などで一瞬にして奪われた。最終的には14万人(24万人とも)余りに上る犠牲者を出している。これは当時の長崎市の人口のおよそ3分の2に当たる。爆発した際の爆心地付近の地表温度は3000度から4000度に達したとされている。被爆者の中には令和5年(2023年8月時点でも、白血病や各種のといった放射線による健康被害に苦しむ人が多く存在している。

現在、長崎市では8月9日は長崎原爆の日と定められ、原爆投下時刻には黙祷を捧げることになっている。

原爆投下ゆかりの施設[編集]

原爆公園[編集]

原爆落下中心碑

爆心地には原爆投下を記念するために「原子爆弾落下中心地之標」が立てられている。

長崎原爆資料館[編集]

原爆公園から徒歩で5分の地にある。旧長崎国際文化会館を被爆50周年を機に改称して、平成8年(1996年)に新しくオープンした。原爆被害の実相コーナーやモニターテレビによる映像資料、原爆記録映画の上映などが行なわれ、核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さを訴えている。

平和公園・平和祈念像[編集]

爆心地の北側一帯が平和公園となっている。公園の北側には平和祈念像が立っている。「平和は長崎から」のスローガンのもとに、長崎市民や日本各地、諸外国から浄財を集め、原子爆弾投下から10周年にあたる昭和30年(1955年8月に完成した。この像は神の愛と仏の慈悲を象徴するブロンズの男性像であり、高さは9.7メートル、重さは30トンの姿を、およそ4メートルの台座にどっしりと構える形で建立されている。製作者は北村西望であり、北村は「天を指差した右手は原爆の脅威を示し、水平に伸ばした左手は地上に永遠なる平和を願い、軽く閉じた眼は犠牲者の冥福を祈っている」のをイメージして建立したのだという。

外部リンク[編集]

長崎市によるWebページ[編集]

その他[編集]

報道機関・連載特集[編集]