郝普

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郝 普(かく ふ、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての政治家武将子太(したい)[1]劉備、続いて孫権にいずれも2度仕えた。

生涯[編集]

荊州義陽郡の出身[1]215年に孫権が呂蒙に命じて荊州領を奪おうとした際、零陵郡の郝普だけは呂蒙に帰順しようとしなかったため、呂蒙は郝普の友人である鄧玄之を使って偽情報を流し、それを信じ込んだ郝普はやむなく呂蒙に帰順するが、帰順して初めて実情を知り呂蒙から嘲笑されたという[1]劉備が孫権と和睦した際に劉備の下に帰還して再度仕えているが、後に事情不明で孫権に再び仕えた[1]。孫権の下で廷尉に昇進しているが、後に親しかった隠蕃から送り込まれたスパイと判明したため、責任を取らされる形で自殺した[1]

三国志演義』には登場しない。

脚注[編集]

  1. a b c d e 小出『三国志武将事典』P371

参考文献[編集]