近藤恒夫

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近藤 恒夫(こんどう つねお、1941年昭和16年)8月20日 - 2022年令和4年)2月27日)は、日本社会運動家日本DARC代表。秋田県出身。北海学園大学中退。

経歴[編集]

30歳の時に覚せい剤を使用して依存症になり、昭和55年(1980年)に覚醒剤取締法違反罪で執行猶予付きの有罪判決を受ける。その後、アルコール依存症の回復施設のスタッフを経て、昭和60年(1985年7月に薬物依存者が共同生活などを通じて回復を目指す日本初の民間施設であるダルク東京都に設立した。薬物依存の問題を抱える当事者同士が経験や悩みを共有するミーティングなどのプログラムを実践し、回復支援に尽力した。孤立化を防ぐことが解決の糸口であり、刑罰から治療と教育へと訴え、各地で精力的に公演活動を行なってきた。ダルクは令和4年(2022年)3月時点で全国では約60団体、約80施設に拡大している。

平成7年(1995年)に東京弁護士会人権賞、平成13年(2001年)に吉川英治文化賞を受賞した。アジア太平洋地域の薬物問題に取り組むNPO法人「アパリ」も創設して、理事長を務めた。

令和4年(2022年)2月27日午前7時21分、大腸癌のため、東京都の自宅で死去した。80歳没。葬儀は近親者で行われた。

著書[編集]

  • 『薬物依存―回復のための12章 DARC10年の軌跡』(1996年12月1日、大海社)
  • 『薬物依存を越えて―回復と再生へのプログラム』(2000年8月1日、海拓舎)
  • 『仲間になってくれてありがとう―ロイ神父からのメッセージ―』(2007年1月1日、日本ダルク)
  • 『真冬のタンポポ 覚せい剤依存から立ち直る』(2018年2月21日双葉社