車裂き
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車裂き(くるまざき)とは、人間の処刑方法のひとつである。残虐な処刑方法として用いられた。
概要[編集]
この処刑方法は、受刑者の四肢を2台、あるいは4台の大八車に括り付けてこれを四方向に引っ張り、強引な力で引かれた手足がやがて関節が外れ、骨肉が粉砕されて手足はもげ、身体中がバラバラになって想像を絶する痛みに悶えながら大量出血により、やがて死に至ることになる。身体が裂かれて死ぬことから四つ裂き刑(よつざきけい)、八つ裂き刑(やつざきけい)とも称されている。牛裂きとよく似たやり方であるが、実を言うと牛裂きよりこの処刑は痛みを伴う。何故かと言うと、牛よりも力の無い人間が受刑者の四肢を引くことになるので、死に至るまでの時間は長く、そのため受刑者の苦痛は牛裂きよりはるかに大きい。手足をもがれて身体が裂ける様は、見た目にもかなり強烈で恐ろしい刑罰である。
この処刑は中国では早くから頻繁に行なわれていた。謀反人や裏切者に採用する例が多く、見せしめの要素も多かった。日本ではこの処刑方法はあまり採用されなかったが、戦国時代の織田信長の時代である天正7年(1579年)、摂津国有岡城主・荒木村重が信長に叛いて逃亡した際、村重や家臣の一族が捕縛されたが、信長の村重に対する憎悪は激しく、捕縛した面々を京都の六条河原に連行し、大八車に縛り付けて引き回した後、処刑方法として車裂きを採用したという。当時、日本においてあまり例の無い処刑方法であったため、この処刑を見物した立入宗継が「かやうのおそろしきご成敗は、仏之御代より此方のはじめ也」と記録している。