牛裂き

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牛裂き(うしざき)とは、人間処刑方法のひとつである。西欧や中国でよく行なわれた処刑のひとつである。

概要[編集]

この処刑は、車裂きの牛バージョンである。つまり受刑者の四肢に大八車を括り付けて人間が引くのではなく、牛が引くのである。動力が人間から牛に変わっているため、その都度によって受刑者の苦しみは大きく違った。牛が全力疾走すれば凄まじい力で受刑者の四肢はちぎれ、内臓も飛び散って即死に近い比較的安楽な死を遂げることができる。しかし牛がのんびりと歩けば、絶命するまでには相当の時間を要することになるのである。

西欧や中国では比較的よく行なわれた処刑方法であり、牛よりも馬を使うことのほうが多かった。しかし戦国時代日本では軍馬は貴重なため、この処刑方法に用いて馬に万が一のことがあってはいけないため、馬よりも牛を選択する場合が多く、受刑者の苦痛はそのために倍増した。馬なら比較的、人間の命じるままに動くので死刑執行人がよほど残酷あるいは底意地の悪い人物でなければ受刑者は短時間で四つ裂きになって絶命する。だが、牛の場合は必ずしも人間の言うことを聞くとは限らない。受刑者の手足がもがれそうな断末魔の状態で突然停止して動かなくなったり、かと思えばいきなり暴走して受刑者は縛り付けられたまま、暴走する牛たちに引きずられぼろ雑巾のようになって死ぬこともあったという。

日本ではこの処刑方法は車裂きよりはよく行なわれていた。特にこの処刑を好んで行なった大名安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名である蒲生秀行であった。秀行は蒲生氏郷の子で織田信長の外孫だが、氏郷の急死でわずか13歳で家督を相続し、この際に蒲生騒動と称される御家騒動が発生して蒲生氏は92万石から12万石に所領が激減した。これで秀行は腐ったようで、領民に過酷な統治を強いて些細な罪を犯した領民を逮捕しては残酷な処刑として牛裂きを見せしめとした。ただし、普通は領民に対してこの処刑は他の大名家では行なわれない。あくまでこの処刑は受刑者に対するさらなる苦しみと見せしめを目的としており、謀反を起こした大罪人でなければ適用されないものであった。それを、秀行は領民を残虐に処刑したのだと言われている。

牛裂きをテーマにした映画[編集]