跡部 久次(あとべ ひさつぐ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田氏の家臣。仮名は又十郎。
津金氏の出身で、義兄に跡部久直がいる。天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで久直が戦死したため、家督を継承した。
天正10年(1582年)2月、木曾義昌が織田信長に通じて離反し、これを契機に徳川家康も加わって武田征伐が開始される。義昌の離反に激怒した武田勝頼は、義昌が甲府に預けていた人質を処刑するように久次に命じるが、久次はこれを拒否し従わなかったという。
武田家滅亡後は家康に仕え、子孫は実家の津金に改姓したといわれている。