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足助町

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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足助町(あすけちょう)は、かつて愛知県東加茂郡にあった町である。

概要[編集]

東加茂郡全体から見ると、中央部にあった町である。飯田街道(現・国道153号)沿いの在郷町として栄え、加茂郡分割後に郡役所が置かれた。1890年(明治23年)に町制を敷いた。
昭和大合併期の1955年(昭和30年)4月に郡内の盛岡、賀茂、阿摺の3村と合併し、町域を拡大した。
平成大合併期の2005年(平成17年)4月に、他の東加茂郡の町村および西加茂郡1町1村と共に豊田市に合併。地方自治体としては消滅した。

合併後、大字は豊田市の町名となって、旧役場のあった足助町宮ノ後に豊田市役所の足助支所が置かれている。

交通[編集]

鉄道[編集]

在郷町として栄え、香嵐渓といった観光地もあるので、町制施行以降、私鉄によって鉄道敷設が構想され、信三鉄道三河鉄道といった私鉄が実現に向けて動いており、国鉄も鉄道敷設法別表の69号「愛知県千種ヨリ挙母(現・新豊田)ヲ経テ武節(現・稲武)ニ至ル鉄道」で、町域通過を匂わせる[注 1]記載がされた。

最終的に三河鉄道によって盛岡村(当時)の追分まで路盤工事がなされたが、未開業のまま戦前末期の1941年(昭和16年)6月に名古屋鉄道に買収された。
戦後の名鉄は不採算・輸送力不足で役目を終えた路線を積極的にバス化したため、ついに旧町域に鉄道は敷設されずに終わった。三河鉄道の刈谷以北が敷設法69号ルート上名目で、「三美南線」として戦時国有化されていれば、足助周辺に鉄道が通じる可能性が、1970年代まで少なからずあったのにと思う

バス[編集]

中央道高速バスの前身の名飯急行バスが中央自動車道開通まで国道153号を走行し、町内に停車していた。

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  1. 三河鉄道が西中金まで通じていることは、挙母から武節への途上の一つとなり得たが、敷設法別表に中間通過地の記載がない場合、複数ルートの比較検討となり(現に中津川線が鉄建公団で着工される前、中津川と三留野で接続駅の争いがあった。)、挙母から東の松平、阿蔵方向への直進を経て武節に至るルートも考えられるため、足助は絶対的な中間通過地と言えなかった。