趙 広(ちょう こう、? - 263年)は、中国の三国時代の蜀の武将である。父は趙雲。兄は趙統。
趙雲の次男で、229年に父が死去すると牙門将軍となる[1]。263年の蜀滅亡の際、魏の鄧艾が侵攻してくると姜維に従って出陣したが沓中において戦死した[1]。
『三国志演義』では第97回で兄と共に諸葛亮に父の病死を告げる所で登場。劉禅から牙門将軍に任命されて父の墓所の守りについたとあるのみで蜀滅亡の際の戦死には触れられていない。