趙 統(ちょう とう、生没年不詳)は、中国の三国時代の蜀の武将。父は趙雲。弟は趙広。
趙雲の長男で、229年に父が死去すると跡を継いで虎賁中郎・督行領軍になった[1]。
『三国志演義』では第97回で弟と共に諸葛亮に父の病死を告げる所で登場。劉禅から虎賁中郎に任命されて父の墓所の守りについたとあるのみである。