貞姫 (武田勝頼の娘)
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貞姫(さだひめ、天正7年(1579年) - 万治2年6月3日(1659年7月22日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての女性。武田信玄の孫娘に当たる。
生涯[編集]
父は武田勝頼。母は不詳。
天正10年(1582年)3月に織田信長による武田征伐で父の勝頼は自害し、武田家は滅亡するが、彼女は叔母の松姫(信松院)に連れられて甲斐国から逃走し、横山、次いで信松院で養育された。時期不明だが、高家の宮原義久に嫁いで、その間に嫡男となる宮原晴克を生んでいる。ただ、夫は寛永7年(1630年)に、息子の晴克はその12年後に先立っており、貞姫は家族運には恵まれていない。
万治2年(1659年)6月3日に81歳という長寿をもって死去。法名は竜雲院殿明窓貞光大姉。栃木県足利市の東陽院に葬られた。
貞姫という名は「信松院百回会場記」に記載があるとされているが、確認はできない。